『桃太郎』の「要旨」と「要約」と「感想」をまとめてみた

知っておきたい日本の昔話

「昔話」はみんなが知っているともっと楽しい

世界各地に口伝えで語り継がれた独自の物語がありますが、日本にもたくさんの昔話が残っています。以前、長期にわたってテレビアニメの『まんが日本昔ばなし』が放送されたことによって、日本の昔話は見直され、浸透した面もありますよね。

みんなが共有しているお話だからこそ、「まるで『かちかち山』のたぬきだね」とか、「『浦島太郎』になった気分だよ」というような表現が可能になるわけですが、昨今では、昔話のほかにも質の高い絵本がたくさんありますし、以前よりは昔話に触れる機会が少なくなっているのではないかと思います。

そこで、「あれってどんなお話だったっけ?」という場合に思い出していただけるよう、代表的な昔話のあらすじをできるだけ簡潔にまとめてみたいと思います。ついでに要旨や感想も書いてみますので、よろしければご一読ください。今回は『桃太郎』です!

「要旨」とは 「要約」とは 「感想」とは

初回なので、まず、「要旨」とは、「要約」とは、「感想」とは何かをまとめておきます。

「要旨」とは

「要旨」というのは、その文章の最も重要なポイントを簡潔にまとめたものです。要旨を読めば、その文章は何を伝えたいのかを把握できます。自分で書いた文章であれば意図や要点をまとめますし、自分以外が書いた文章においては、筆者や作者の立場になって考察します。

「要約」とは

「要約」というのは、文章全体を短くまとめたものです。要約したものを読めば、その文章にはどのような内容が書いてあって、どのように展開し、どのような結論(結末)になるのかを、筋道を追って理解することができます。物語であれば「あらすじ」になります。

「感想」とは

「感想(文)」とは、言うまでもないことですが、読んで自分自身が感じたことや思ったことを自由に述べたり文章にまとめたりしたものです。何を感じるかは人それぞれですから正解というものはありません。学校教育においては書く力の育成のために課されることがあります。

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「桃太郎」の要旨を書いてみた

「桃太郎」は、厳しい現実を鬼になぞらえながら、鬼に勝利する桃太郎の姿を通して、わが子には、困難に立ち向かうたくましさを身につけてほしい、願わくは立身出世を果たしてほしいという親の願いが込められた昔話である。

「桃太郎」の要約文(あらすじ)を書いてみた

昔、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が流れてきました。おばあさんがこの桃を持ち帰りおじいさんと一緒に食べようとしたところ、中から男の子が出てきたので、ふたりはその男の子を「桃太郎」と名づけ、大切に育てたのでした。

桃太郎がすくすくと大きくなったある日のことです。このころ村には鬼がやってきて村人たちを襲っていたため、それを見かねた桃太郎は鬼ヶ島へ鬼退治に行くことを決意します。それを聞いたおじいさんとおばあさんは驚きながらも、きびだんごを持たせて桃太郎を送り出します。

鬼ヶ島に向かう途中で犬に出会いました。桃太郎はきびだんごを渡して犬を家来にしました。少し行くと猿に出会いました。この猿もまた同様に家来になりました。さらにキジもやってきて、やはりきびだんごと引きかえに家来になりました。

鬼ヶ島に到着すると、鬼たちは宴会の最中でした。「われこそは日本一の桃太郎だ」、桃太郎はそう口にすると鬼に飛びかかりました。犬はかみつき、猿はひっかき、キジはつついて一緒に戦いました。とうとう鬼たちは降参し、持っていた宝物を差し出して、もう二度と村を襲わないと約束しました。桃太郎は、その宝物を村に持ち帰ってみんなに感謝されたのだでした。めでたしめでたし。

「桃太郎」の感想を書いてみた

「桃太郎」は日本の昔話を代表する物語で、日本の昔話といえば、真っ先に思い浮かぶのが「桃太郎」です。こうした昔話は、特に台本があるわけでもないのに、口伝えで親から子へと代々語り継がれてきたもので、その日の気分で脚色したり、オリジナルなセリフを加えたりしながら語られてきたのだと思います。

「桃太郎」には「鬼」が登場しますが、この鬼というのは生活をおびやかす存在を象徴しているものと考えられます。そしてその鬼は、時代によって変化していったにちがいありません。あるときは厳しく年貢を取り立てる村役人であり、あるときは村外からやってくる盗賊であり、また、あるときは初めて見た異国の人が、驚きのあまり鬼に見えてしまったかもしれません。

不遇な生活の中で、せめて子どもにはたくましく育ってほしい、できれば貧しい村を出て、都で一旗揚げてほしいというのは、親として自然な気持ちであったことでしょう。そんな親の願いが「桃太郎」というヒーローを生んだのではないかと思います。

昔話は、子どもをしつけたり教育するためだけのものではなく、それを語ることで親自身のカタルシスにもなるものです。いつかわが子が立派に成長して故郷に錦を飾るようなことがあったらいいなと、そんなささやかな夢をみながら「桃太郎」を語り聞かせる母親たちの姿が目に浮かぶような気がします。いつの時代においても、わが子にかける期待は変わらないのかもしれません。 

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「きびだんご」を考察してみた

ここからは雑感になります。上記が私が知っている「桃太郎」のお話ですが、こうした昔話は子ども向けにわかりやすく書き直されますので、再話者によって少しずつ異なっていることがあります。もちろん、どれが正解ということはないのだと思いますが、複数のお話を読み直してみたところ、おざわとしお(小澤俊夫)さんが再話されたお話がとってもおもしろく印象に残りました。

私はずっと、桃太郎が背負っている「日本一」の旗は、自分の存在をアピールする、いわば戦国武将の旗印のようなものだと思っていたのですが、おざわさんの再話によると、どうやらそうではなかったようなんです。

犬と猿とキジに「お腰のものは何ですか?」と問われて、桃太郎は、「これは日本一のきびだんご。一つ食えばうまいもの、二つ食えばにがいもの、三つ食えばからいもの、四つ食えば頭の鉢がざるになる」と答えます。日本一なのは「きびだんご」だったんですね。そして、「一つしか分けてやらないぞ」という強い気持ちが込められていて少し笑ってしまいます。自分の分がなくなってしまいますからね。

それにしても、きびだんごのおかげで家来を得て見事に鬼退治できたストーリーにしたのはなぜでしょうか。一人でできることは限られていて、みんなと協力することが大事だというのはもちろんですが、きっと、きびだんごを持たせることで、親の存在をさりげなくアピールしたかったのではないかと思います。

現代においても、活躍するスポーツ選手は必ず親御さんが紹介されます。自慢のお子さんですから当然ですよね。「桃太郎」も同じように、「私がこの子を育てました」というような証しとしてきびだんごを登場させたのかなと思いましたが、皆さんはどうお感じになられるでしょうか。

桃太郎については以上になります。読んでくださってありがとうございました。

ちなみに、おざわとしおさんが再話された「桃太郎」はこの本に収録されています。ご興味がおありでしたらご覧くださいね。