はじめに
日本にはたくさんの昔話がありますが、忘れてしまっていたり、うろ覚えだったり、そもそも知らないものも多いですよね。そこで、「あれってどういうお話だったっけ?」とふと思い出したくなったときのために、代表的な昔話の「要旨」と「要約(あらすじ)」と「感想」をまとめておきたいと思います。今回は『鶴の恩返し(つるのおんがえし)』です。
昔話の中で私が最も好きな『鶴の恩返し』ですが、再話者によって内容が大きく2つに分けられます。そのあたりにも少し触れてみたいと思います。
『鶴の恩返し』と『鶴女房』の違いは?
『鶴の恩返し』は、助けられた鶴が恩返しにやってくるお話ですが、鶴を助けたのが誰かによって「おじいさん型」と「若者型」に分けられます。「おじいさん型」は、人間の姿になった鶴がおじいさんとおばあさんの娘にしてもらうというお話です。一方、「若者型」は、鶴が人間の姿になって若者のお嫁さんにしてもらうというお話です。
お話の題名が『鶴の恩返し』になっていても、内容が「おじいさん型」なのか「若者型」なのかは読んでみるまでわかりません。ただ、題名を『鶴女房(つるにょうぼう)』としているものもありますので、それであれば「若者型」だとわかりますけれどもね。ちなみに、松谷みよ子さんの作品の題名は『つるのよめさま』です。お話の流れとしては一緒ですが、誰に恩返しをするのかで印象は少し違ってしまうかもしれません。
どちらの型が多いのか何冊か読んでみましたが、半々といったところで、若干「おじいさん型」が多いかなという印象です。ちなみに、テレビアニメとして放送された「日本むかしばなし」も「おじいさん型」を採用しているようです。
代表的な再話者の立場は次のとおりです。(※ 手持ちのものと図書館にあったものだけですので、これがすべてではありません)
坪田譲治さん 「おじいさん型」
長谷川摂子さん 「おじいさん型」
宮川ひろさん 「おじいさん型」
内田麟太郎さん 「おじいさん型」
松谷みよ子さん 「若者型」
小澤敏夫さん 「若者型」
木下順二さん 「若者型」
私がずっと記憶していた『鶴の恩返し』は「若者型」ですし、松谷みよ子さんや小澤敏夫さんが「若者型」ですので、今回は「若者型」で要旨とあらすじをまとめてみたいと思います。
『鶴の恩返し(鶴女房)』の要旨をまとめてみた
『鶴の恩返し』は、せっかく手にした幸せを、自分の過ちが原因で失ってしまう男の姿を描くことで、取り戻せない人生のはかなさを語った昔話です。
『鶴の恩返し(鶴女房)』の要約文(あらすじ)をまとめてみた
昔、ある村にひとりの若者がいました。山仕事の帰り道、一羽の鶴がわなにかかって羽をバタバタさせていましたので、かわいそうに思い、わなを外してやりました。
その日の晩のこと、美しい娘が若者を訪ねてきました。道に迷ったので一晩泊めてほしいというのです。男は娘を泊めてやりますが、数日たっても帰ろうとせず、掃除や炊事をしています。ついには「あなたのお嫁さんにしてください」というので、若者は喜んで娘を嫁にしました。
お正月も近くなった頃、娘は若者に機織り小屋をつくってほしいと頼みます。機織り小屋ができると、今度は「織っているところは決して見ないでください」といって機を織り始めました。翌朝までかかって機織り小屋から出てきた娘は、美しい反物を差し出して、「これを売ってきてください」といいます。男は町へ行くと、その反物はすぐに高く売れました。
少したったある日、「もう一反織りますから、絶対に中を見ないでください」といって、また機を織り始めました。三日かかってようやく機織り小屋から出てきた娘は、少し痩せて元気がありません。それでも「これを売ってきてください」と美しい反物を差し出しました。
男が町へ行くと、呉服屋の主人がとても高い値段で買ってくれました。そして、殿様が望んでいるのでもっと欲しいと求められます。男は喜び勇んで帰り、家に着くなり、また織ってくれと頼みます。娘は少し休みたいと申し出ますが、どうしてもとせがまれ、やむなく機織り場に入っていきました。
男は、糸もないのにどうやって機を織っているのかずっと気になっていました。それで、がまんできずにそっと戸を開けて中をのぞいたところ、目にしたのは娘ではなく、鶴が自分の羽を引き抜いて布を織っている姿でした。娘は、「私はあなたに助けられた鶴です。姿を見られたからにはここにはいられません」と告げます。男は必死で引き止めますが、娘は鶴の姿になって雪が降る空へ飛んでいってしまったのでした。
『鶴の恩返し(鶴女房)』の感想をまとめてみた
『鶴の恩返し』は、「約束を破ってはいけない」という教訓のお話だとする解釈がありますが、確かに「おじいさん型」であればそう捉えられます。やってはいけないといわれると、なおさらやりたくなる心理のことを「カリギュラ効果」といいますが、誰しも一度ぐらいは禁止されていることをやってしまった経験があるのではないでしょうか。
逆に、やりなさいといわれるとやりたくなくなることを「心理的リアクタンス」といいます。禁止も強制もされたくない、自分のことは自分で決めたいというのが人間ですからね。
たとえ失敗しても、痛い目に遭ったとしても、見たい、知りたいという欲求を押さえるのは難儀なものです。この若者だって、約束を破ったのは自分だと自覚しているわけですから、悲しい結末にはなりますが、きっとどこかで自業自得だと納得もしているのではないかと思います。
ただ、『鶴の恩返し』を、単に「約束は守りましょう」というお話にしてしまうのはなんだかもったいないように思いますので、こうした教訓的なものから離れて、もう少し自由に解釈してみたいと思います。
私は、鶴が去っていったのは、約束が破られたからではなく、思いをかけてもらえなかったからだと思っています。鶴の立場に立てば、人間界での暮らしは不自由なものであったはずです。それでも恩を返すためになんとかやっていこうと考えていたのでしょう。
でも、夫となった男が、自分の体調の悪さを気にかけるよりも、お金もうけを優先したことが悲しかったのだと思います。そこで決意は固まっていたような気がしてなりません。そう考えると、「あなたが約束を破ったので出ていきます」というのは、行動に移す口実にすぎなかったのではないでしょうか。
このあたりは、『鶴の恩返し』をもとに作られた戯曲の『夕鶴』に、いっそうシビアに描かれていますので、次の項目では『夕鶴』について触れてみたいと思います。
『夕鶴』と『鶴の恩返し』の違いを考察してみた
『夕鶴』というのは『鶴の恩返し(鶴女房)』を題材にした木下順二さんの戯曲です。『夕鶴』は舞台で繰り返し上演されましたし、なんと日本を代表するオペラ作品にもなっています。
『夕鶴』は、『鶴の恩返し』のストーリーを脚色したものですので、おおまかな流れは同じなのですが、こちらは人間の欲深さを真正面から描いていて、平易な文体でありながら、とても重厚な作品です。
『夕鶴』では、娘には「つう」、若者には「与ひょう」という名前が与えられます。そして、そこに強欲な2人の男を登場させます。彼らにけしかけられて、与ひょうがどんどん変わっていってしまうあたりの描写が秀逸で、お金への執着というのはおそろしいものだと思います。
結末は、やはり機を織る姿を見られてしまい、つうは与ひょうに別れを告げるというものですが、つうが無事に逃げられて本当によかったと思います。つうにとって最悪なパターンは、まるで機織りロボットのように放置され、与ひょうの興味が織り上がった布だけに移ってしまった場合です。出て行く口実も見つけられず疲弊していき、やがては命を落としていたかもしれません。与ひょうが戸を開けたことで、つうに決意の機会を与えたのです。
その後、きっとつうは、本来あるべき居場所で自分らしい生活を送ったことでしょう。与ひょうのほうも、あれ以上は悪人にならずに済んだのですから、それはそれでよかったのではないでしょうか。「与ひょうさんが戸を開けてくれて、本当は助かったんですよ」、そんなつうのないしょ話が聞こえてくるような気がします。