『鶴の恩返し』|鶴が去ったのは「約束が破られたから」ではなかった? 『鶴女房』や『夕鶴』との比較から

知っておきたい日本の昔話

『鶴の恩返し』には「おじいさん型」と「若者型」があります

『鶴の恩返し』は、助けられた鶴が恩返しにやってくるお話ですが、鶴を助けたのが誰かによって「おじいさん型」と「若者型」に分けられます。「おじいさん型」は、人間の姿になった鶴がおじいさんとおばあさんの娘にしてもらうお話ですし、「若者型」は、鶴が人間の姿になって若者のお嫁さんにしてもらうというお話です。

お話の題名が『鶴の恩返し』になっていても、内容が「おじいさん型」なのか「若者型」なのかは読んでみるまでわかりません。ただ、題名が『鶴女房(つるにょうぼう)』になっていれば、「若者型」だとわかります。ちなみに、松谷みよ子さんの作品の題名は『つるのよめさま』です。お話の流れとしては一緒ですが、誰に恩返しをするのかで印象は少し違ってしまうかもしれません。

どちらの型が多いのか何冊か読んでみましたが、半々といったところで、若干「おじいさん型」が多いかなという印象です。ちなみに、テレビアニメとして放送された「日本むかしばなし」も「おじいさん型」を採用しているようです。

代表的な再話者の立場は次のとおりです。(※手持ちのものと図書館にあったものだけですので、これがすべてではありません)

坪田譲治さん  「おじいさん型」
長谷川摂子さん 「おじいさん型」
宮川ひろさん  「おじいさん型」
内田麟太郎さん 「おじいさん型」

松谷みよ子さん 「若者型」
小澤敏夫さん  「若者型」
木下順二さん  「若者型」

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「カリギュラ効果」と「心理的リアクタンス」

『鶴の恩返し』は、「約束を破ってはいけません」という教訓的なお話だとする解釈がありますが、確かに「おじいさん型」であればそう捉えられます。やってはいけないといわれると、なおさらやりたくなる心理のことを「カリギュラ効果」といいますが、誰しも一度ぐらいは禁止されていることをしてしまった経験があるのではないでしょうか。

逆に、やりなさいといわれるとやりたくなくなることを「心理的リアクタンス」といいます。禁止も強制もされたくない、自分のことは自分で決めたいというのが人間ですからね。

たとえ失敗しても、痛い目に遭ったとしても、見たい、知りたいという欲求を押さえるのは難儀なものです。この老夫婦、あるいは夫となった若者だって、約束を破ったのは自分だと自覚しているわけですから、悲しい結末にはなりますが、きっとどこかで自業自得だと納得もしているのではないかと思います。

しかし、鶴が去った真の理由は、「約束を破られたこと」そのものではなく、その裏側の「心のすれ違い」にあるのではないでしょうか。

鶴が去っていった本当の理由は?

ただ、『鶴の恩返し』を、単に「約束は守りましょう」というお話にしてしまうのはなんだかもったいないように思いますので、こうした教訓的なものから離れて、「若者型」を例にとって、もう少し自由に解釈してみたいと思います。

私は、鶴が去っていったのは、約束が破られたからではなく、思いをかけてもらえなかったからだと思っています。鶴の立場に立てば、人間界での暮らしは不自由なものであったはずです。もしかすると後悔する気持ちもあったかもしれません。それでも恩を返すためになんとかやっていこうと考えていたのでしょう。

でも、夫となった男が、自分の体調の悪さを気にかけるよりも、お金もうけを優先したことが悲しかったのだと思います。そこで決意は固まっていたような気がしてなりません。そう考えると、「あなたが約束を破ったので出ていきます」というのは、行動に移す口実にすぎなかったのではないでしょうか。

このあたりは、『鶴の恩返し』をもとに作られた戯曲の『夕鶴』に、いっそうシビアに描かれていますので、次の項目では『夕鶴』について触れてみたいと思います。

『鶴の恩返し』の発展形の『夕鶴』とはどんなお話?

『夕鶴』というのは『鶴の恩返し(鶴女房)』を題材にした木下順二さんの戯曲です。『夕鶴』は舞台で繰り返し上演されましたし、なんと日本を代表するオペラ作品にもなっています。

『夕鶴』は、『鶴の恩返し』のストーリーを脚色したものですので、おおまかな流れは同じなのですが、こちらは人間の欲深さを真正面から描いていて、平易な文体でありながら、とても重厚な作品です。

『夕鶴』では、娘には「つう」、若者には「与ひょう」という名前が与えられます。そして、そこに強欲な2人の男を登場させます。彼らにけしかけられて、与ひょうがどんどん変わっていってしまうあたりの描写が秀逸で、お金への執着というのはおそろしいものだと思います。結末は、やはり機を織る姿を見られてしまい、つうは与ひょうに別れを告げます。

ただ、考えようによっては、つうが無事に逃げられてよかったと捉えることもできるのではないでしょうか。つうにとって最悪なパターンは、まるで機織りロボットのように放置され、ただ富を生む道具として搾取され続けることです。与ひょうが戸を開けた瞬間、つうは「もう、ここには私の居場所はない」と悟ったのだと思いますが、それは悲しみであると同時に、自由への引き金でもあったのかもしれません。

その後、きっとつうは、本来あるべき居場所で自分らしい生活を送ったことでしょう。与ひょうのほうも、あれ以上は悪人にならずに済んだのですから、それはそれでよかったのかもしれません。「与ひょうさんが戸を開けてくれて、本当は助かったんですよ」、そんなつうのないしょ話が聞こえてくるような気がします。

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『鶴の恩返し(鶴女房)』のあらすじをまとめました

『鶴の恩返し』は、せっかく手にした幸せを、自分の過ちが原因で失ってしまう姿を描くことで、取り戻せない人生のはかなさを語った昔話です。どんなお話だったか忘れてしまった人のために、あらすじを短くまとめておきました。よかったらご一読くださいね。なお、ここでは「若者型」を採用しています。

あらすじ

昔、ある村にひとりの若者がいました。山仕事の帰り道、一羽の鶴がわなにかかって羽をバタバタさせていましたので、かわいそうに思い、わなを外してやりました。

その日の晩のこと、美しい娘が若者を訪ねてきました。道に迷ったので一晩泊めてほしいというのです。男は娘を泊めてやりますが、数日たっても帰ろうとせず、掃除や炊事をしています。ついには「あなたのお嫁さんにしてください」というので、若者は喜んで娘を嫁にしました。

お正月も近くなった頃、娘は若者に機織り小屋をつくってほしいと頼みます。機織り小屋ができると、今度は「織っているところは決して見ないでください」といって機を織り始めました。翌朝までかかって機織り小屋から出てきた娘は、美しい反物を差し出して、「これを売ってきてください」といいます。男は町へ行くと、その反物はすぐに高く売れました。

少したったある日、「もう一反織りますから、絶対に中を見ないでください」といって、また機を織り始めました。三日かかってようやく機織り小屋から出てきた娘は、少し痩せて元気がありません。それでも「これを売ってきてください」と美しい反物を差し出しました。

男が町へ行くと、呉服屋の主人がとても高い値段で買ってくれました。そして、殿様が望んでいるのでもっと欲しいと求められます。男は喜び勇んで帰り、家に着くなり、また織ってくれと頼みます。娘は少し休みたいと申し出ますが、どうしてもとせがまれ、やむなく機織り場に入っていきました。

男は、糸もないのにどうやって機を織っているのかずっと気になっていました。それで、がまんできずにそっと戸を開けて中をのぞいたところ、目にしたのは娘ではなく、鶴が自分の羽を引き抜いて布を織っている姿でした。娘は、「私はあなたに助けられた鶴です。姿を見られたからにはここにはいられません」と告げます。男は必死で引き止めますが、娘は鶴の姿になって雪が降る空へ飛んでいってしまったのでした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。別れは悲しい描写になっていますし、鶴も自分の気持ちが伝わらずにもどかしかったかもしれませんが、最後は双方にとってよい結果に落ち着いたのではないかと思います。

なお、舞台やオペラになった『夕鶴』はこちらの本に収録されています。気になったらぜひ読んでみてくださいね。

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