再読・昔話『かちかち山』|うさぎの成敗は「正義」、それとも「やりすぎ」?大人が読み解く「泥舟」の正体とは

知っておきたい日本の昔話

はじめに

『かちかち山』は、おばあさんを殺してしまったたぬきがうさぎに成敗されるいきさつを語ることで、悪い行いは自分への報いとなって返ってくるという因果応報を描いた昔話です。

結末は、悪さをしたたぬきを「泥船」に乗せて水底に沈めてしまういうものですが、皆さんは、うさぎの成敗を「正義」だと思いますか? それとも「やりすぎ」だと思いますか?

「泥船」という言葉の語源になっている「かちかち山」ですが、今回はそのあたりを読み解いていきたいと思います。

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残酷な物語を「笑い」に変えるオノマトペの魔法

『かちかち山』は、とても残酷な物語です。背中のかやに火をつけてやけどをさせるだけにとどまらず、最後は舟もろともたぬきを海底へと沈めてしまうのですから徹底しています。それを物語としてひるむことなく堂々と語り継いできたのは、たぬきが受けた報いは理不尽なものではなく、罪に相当する当然の報いだと示すために違いありません。

そのように残酷なお話であるにもかかわらず、私たちは『かちかち山』というと、「憎しみが渦巻く恐ろしい話」ではなく、「ドジなたぬきが知恵者のうさぎにやっつけられるお話」として記憶に残っているのはなぜでしょう。

それは、「かちかち山」という軽快な題名のためだと思います。題名だけでなく、お話の中にも「かちかち山のかちかち鳥」や、「ぼうぼう山のぼうぼう鳥」などと、ダジャレのようにオノマトペが入っています。また、たぬきがうさぎの言うことを簡単に信用してしまう思慮の足りなさや、力ではかなわないうさぎが知恵を働かせてたぬきをだますところが、このお話におかしみを与えています。喜劇でなければこのような重たい話は伝えることができなかったのでしょう。

たぬきを泥の舟に乗せてこの世から消し去ったことが適切なことかどうかは私にはわかりません。実際、たぬきが何をしでかしたかは再話者によってさまざまなんです。縄をほどいてもらった隙に逃げ出すというお話から、小澤俊夫さんの再話によれば、たぬきはおばあさんを殺したあげく、たぬき汁ならぬ「おばあさん汁」にしておじいさんに食べさせるというお話にしています。もしも「おばあさん汁」を食べさせられたとしたら、おじいさんの憎しみはこの上ないものでしょうから、ただ逃げていったたぬきとは全く別の印象になります。

つまり、現代の私たちが知る『かちかち山』は、あまりに残酷すぎて“骨抜き”にされているかもしれないんですね。特に子どもが手にする絵本においてはその傾向が強くなっています。ただ、因果と応報のバランスを考えるという意味においては、たぬきのした悪さがどのようなものだったのかを認識しておくことも必要なのかもしれません。

うさぎの裁判官は正しい判断ができたの?

「かちかち山」のうさぎの立場は、現代においては裁判官といったところでしょうか。直接的な被害者ではないものの、罪の大きさをくみ取ってたぬきを裁いています。凶悪な犯罪者であるたぬきに対して、腕力ではなく知恵で対抗するあたり、とっても優秀な裁判官のようです。

ただ、このうさぎ、たぬきの知恵のなさをバカにしてかかっているんですね。いくら凶悪犯相手であっても、正論で詰め寄るのではなく、だますようなやり方にしているところが、私はあまり好きになれません。賢さはもっと違う形で使ってもらいたかったというのが正直な感想です。

それに、第三者の立場でありながら、たぬきの言い分は聞いていないところも気になります。たぬきにしてみれば、たぬき汁になる寸前のところでの正当防衛だった可能性があります。ただ、「おばあさん汁」にしてしまったことについてはひどすぎますし、いくら言い訳しても重罪に問われそうですね。もしかすると、「自分たちの仲間は、こうやっておまえたちに食べられているんだぞ」と見せつけたかったのかもしれません。

いずれにしても、自業自得というのは有無を言わせぬ圧倒的な説得力がありますし、悪者が成敗されるのを人々は好みます。物語の中ではすっきりする勧善懲悪も、現実世界で乱用すれば、弱者を追い詰める刃になりかねませんし、決めつけてかかるのは冤罪を生む可能性もありますね。

ちなみに、この昔話がもとになって、比喩的に、すぐに行き詰まって壊れてしまう組織のことを「泥舟」というのはご承知のとおりです。つまり、水に入れば崩れてしまうことは明らかであって、今にも沈みそうな(破綻しそうな)危ういものに頼ったり、運命を共にしたりすることを「泥舟に乗る」などと表現します。

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『かちかち山』のあらすじをまとめました

どんなお話だったっけ?という方のために、あらすじを簡単にまとめましたので、よかったらご一読くださいね。

あらすじ

昔、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんが畑で仕事をしていると、いつも作物を荒らしてしまう悪いたぬきを見つけたので、捕まえて縄でしばって家まで担いで帰りました。おじいさんは、縛ったたぬきを天上からつるすと、「これでたぬき汁を作ってくれ」とおばあさんに頼み、また仕事に出かけていきました。

縛られたたぬきはおばあさんに、手伝いがしたいからこの縄をほどいてくれと頼みます。おばあさんは最初は断りましたが、あまりに何度も言うので、たぬきをおろして縄をほどいてやりました。するとたぬきは、もちつきを手伝うふりをして、きねでおばあさんをたたき殺してしまいました。

夕方になって帰ってきたおじいさんは、おばあさんがたぬきに殺されたことを知って嘆き悲しみます。そこへやってきたのはうさぎでした。おじいさんから事情を聞いたうさぎは、代わりにたぬきをこらしめることを約束します。

次の日、うさぎは山でかや(茅)を刈っていました。そこへたぬきがやってきて何をしているのかと尋ねます。冬に備えてかやを刈っているのだと答えると、それなら自分も刈らせてほしいと、たぬきも一緒にかやを刈り、それぞれ背中に背負いました。

帰り道、うさぎは火打ち石を取り出して「かちかち」とこすって、そっとたぬきのかやに火をつけました。「今のかちかちという音は何の音だい?」と聞かれると、「ここはかちかち山だから、かちかち鳥の鳴き声さ」とうさぎはとぼけます。

しばらくすると火がまわって今度はかやがぼうぼうと燃えだしました。「このぼうぼうという音は何の音だい?」「ここはぼうぼう山だから、ぼうぼう鳥の鳴き声さ」と、うさぎはまたとぼけます。そのうちに、とうとうたぬきの背中に火が燃え移ったからたまりません。「アチチチチ!」と、たぬきは背負っていたかやを放り投げ、逃げていってしまいました。

少したったある日、うさぎはとうがらしを摘んでいました。そこへたぬきがやってきて、何をしているのかと尋ねます。うさぎはやけどの薬を作っているのだと答えると、「ちょうどいい。おれの背中に塗ってくれ」と頼みます。うさぎは薬をたぬきの背中に塗りましたが、それは薬ではなく、とうらがしの実をすりつぶしたものだったからたまりません。たぬきは「痛い、痛い」と転げまわって逃げていきました。

また少したったある日、うさぎは浜辺で舟をつくっていました。そこへたぬきがやってきて何をしているのかと尋ねます。うさぎは、今年は魚がたくさんとれるので、舟を出して取りにいくのだと答えます。たぬきは、一緒に行きたいから自分の舟もつくってくれるよう頼みます。

次の日、たぬきがやってきました。たぬきは、見た目が頑丈そうな泥で作った舟、うさぎは木の舟に乗り込んで、それぞれ海にこぎ出しました。そのうちに、水につかった泥の舟はだんだん砕けて、やがてたぬきもろとも沈んでしまいましたとさ。

まとめ

『かちかち山』を大人になって読み返すと、そこには単なる勧善懲悪では片づけられない不気味なまでの残酷さが見えてきます。おばあさんを殺しておばあさん汁にしたたぬき、その罪を冷徹なまでに「知恵」と「罠(わな)」で裁いたうさぎ。

こんなに残酷なお話を、「かちかち」や「ぼうぼう」という軽快なリズムに乗せて語ってきた『かちかち山』は、たくさんの人の恨みつらみを象徴しているのかもしれません。

しかし、現代を生きる私たちは、誰かの不幸を「自業自得だ」と切り捨てる刃は、いつか自分にも向く可能性があることを知っています。たぬきが乗った泥舟はもろくも崩れ去りましたが、私たちの心に潜む「独善」という名の舟もまた、もろくも沈みかねないことは心に留めておいたほうがいいのかもしれません。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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