『舟を編む』は小説も映画もアニメもどれもいい!
日本のアニメは本当にすばらしくて名作ぞろいです。世界に誇れる日本のカルチャーといったら、まずはアニメが挙げられますよね。たくさんのアニメの中から特におすすめな作品を紹介していくこのシリーズ、今回は『舟を編む』です。
この作品は、いわゆるお仕事アニメに分類されますが、物語の舞台が出版社ですので、本を読んだり文章を書いたりすることが好きという方にはこたえられない内容になっています。仮にそうでなかったとしても、普通のサラリーマンが情熱を傾けて私たちの日常を支えているんだという再認識にもつながって勇気づけられます。どんな切り口で見るかはそれぞれだと思いますが、見ればきっと新しい「国語辞典」が欲しくなるはずですよ。

ほんと、いいお話だよね。出版社に憧れるよ。
『舟を編む』は、三浦しをんさんの小説で、2012年に本屋大賞を受賞しています。2013年に映画化、2016年にアニメ化されていますので、何らかの形で触れられた方も多いことと思います。小説はもちろん、映画もとてもよかったですよね。それでも、やはりアニメはアニメならではのよさがあって、日本で最初の国語辞典である『言海』を本物さながらにアニメーションで描くなど、難しいところも妥協せずに丁寧に表現されていて、私はアニメが大好きです。
テレビアニメの放送からかなりたってしまいましたので、当時はまだ幼くて見ていない人も多いと思われますが、もしも日本語や言葉に興味があったら、本でも映画でもアニメでも、何らかの形で触れておいて損はありません。
『舟を編む』ってどういう意味?
タイトルになっている『舟を編む』ですが、これは「国語辞典を編纂する」という意味の隠喩なんですね。とても味わい深い題名だと思います。
物語の中では、おびただしい数の言葉を「言葉の海」になぞらえる描写が何度も出てきますが、「舟」とは、その「言葉の海」を渡るための手助けとなるもの、つまり「国語辞典」を指しています。
一方、「編む」というと毛糸や竹を編むイメージがありますが、もともと「編む」は「材料を集めて本をつくる」という意味です。どうして「編む」が「本をつくる」という意味なのかというと、古く中国においては、文字を記した竹のふだを糸で順序よくつないで書物をつくっていたからなんですね。

それで著作物は「1編、2編」と数えるのね。
『舟を編む』の中でつくられる辞書の名前は『大渡海(だいとかい)』です。このネーミングもとてもすてきですよね。「言葉の大海を渡る」という意味と、現代的な辞書であることを示す「大都会」を掛けているんですから、このセンスには脱帽です。本当に『大渡海』が出版されたら絶対に買ってしまうと思います。
『舟を編む』のあらすじをざっくりと
『舟を編む』は、「玄武書房」という出版社が舞台で、主人公の馬締を中心に、中型辞書である『大渡海』を刊行するまでの労苦と辞書をつくりあげる喜びを描いた物語です。
玄武書房において、辞書編集部は地味で人気のない部署でした。ある日、営業担当だった馬締光也(まじめ みつや)は辞書編集部へと異動になります。彼は名前のとおり「まじめ」な人間で、言葉に対する揺るぎない思いが、まさに辞書づくりにうってつけだと見込まれたのです。
彼を見いだしたのは退職してしまう荒木でした。自分の後任を探していたんですね。馬締はそこで、先輩の西岡や辞書の監修者である松本先生らとの交流を通じながら成長し、ついには辞書編集部の責任者として見事に『大渡海』を刊行します。
プライベートでは、下宿先のおばあさんの孫娘である香具矢(かぐや)との出会いがありました。好きな気持ちを伝えられずに悩みつつも、やがて互いを理解しあえるよき伴侶となります。
彼が何年に入社したのかはっきりと描かれていませんでしたが、『大渡海』の刊行祝賀パーティーは2015年のようでした。荒木らが長年かけて進めてきて、馬締が引き継いだのは最後の10年ほどだったと思われます。しかも、当時はまだアナログの時代です。ワープロ機能としてのパソコンはあったでしょうが、24万もの見出しすべてを手作業で編集する大変さは半端なことではありません。でも、つい四半世紀前までは、それが日常の風景だったんでしょうね。そう考えると、なんだか手元の辞書たちがいとおしく思えてきます。
右はどう言い表す?
『舟を編む』の中で、「右をどう表現するか」と問いかける印象的な場面があります。確かに「右」を説明するときにどう説明するのがよいのでしょうか。「箸を持つほう」というのは左利きの人には通じませんよね。
私が考えたのは、「車を運転していて、ウインカーを下げたときに示される方向」ですが、これだと運転しない人には通じません。「ドアノブを開ける方向に回す側」というのはどうでしょうか。でも、引き戸には当てはまりませんし、すべてのドアがそうなっているのか調べたわけではありません。
ちなみに、手持ちの小型辞典で「右」の項目を調べた結果は次のようになりました。
岩波国語辞典:東を向いた時、南の方。また、この辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う。
三省堂国語辞典:横に〈広がる/ならぶ〉もののうち、一方のがわをさすことば。「一」の字では書き終わりのほう。「リ」の字では線の長いほう。
新明解国語辞典:アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側。
明鏡国語辞典:人体を対称線に沿って二分したとして、心臓のない方。
現代国語例解辞典:正面を南に向けたときの西に当たる側。
それぞれ味わい深い説明ですね。万人に共通な伝え方というのは本当に難しいですし、これを何万語にもわたって述べているのかと思うと、本当に気の遠くなる作業だということがわかります。

辞書を引く立場から辞書をつくる立場に視点を移すと発見が多いわね。
『言海』という国語辞典のこと
物語の中では『言海』という国語辞典のことが何度か語られます。『言海』というのは日本初の近代的国語辞典で、大槻文彦(おおつきふみひこ)という人が明治時代につくったのだそうです。なるほど、『大渡海』も、名前に「海」を用いたのは『言海』を意識したからなんですね。
作中で『大渡海』の監修者でもある松本先生がこんなふうに語っています。当時、海外の主要国では、時の権力者が主導して自国の辞典を編纂することが多かった。しかし、日本ではそれができずに、大槻文彦が自費で発行した経緯がある。これは国の言語に対する無理解ともいえるが、結果として、辞書を国の威信の維持のために利用されずに済んだことになり、よかったのではないかと。
なるほど、そういう事情があったんですね。歴史的な背景も含めて本当に勉強になりました。同時に、仕事柄とはいえ、文科省で示している指針や常用漢字にがんじがらめになっている自分を省みるきっかけにもなりました。でも、日本ではみんなが使う動向をくみ取って文化審議会で国語表記の基準を変更していますから、ある意味では国民が主導している面もあるんですよ。
用例採集カードについて
『大渡海』の編纂にあたって、「用例採集カード」がたくさん登場します。「用例採集カード」とは「ことばあつめ」をするためのカードです。知らなかったことばや気になることばを書いて、その中からどれを辞書に載せるか選んでいくんですね。
作中の用例採集カードには、見出しと品詞と出典、そして採集した月日を記入する欄がありました。文字数は14字×6行だったと思います。
これ、私もやってみたいとずっと思っていながら、継続できずに現在に至ります。長いこと日本語を使ってきたはずなのに、まだまだ毎日のように知らなかったことばをたくさん見聞きしますのでね。特に今はインターネットやSNSの登場で情報量が飛躍的に増えています。もはやAIで用例採集をする時代なのかもしれませんけれども、それはそれとしても、自分の気づきのために集めてみたいです。
「大型辞典」「中型辞典」「小型辞典」の区別について
国語辞典は収録語の数によって「大型辞典」「中型辞典」「小型辞典」の3つに分類されています。大型辞典というのは1つしかなくて、それが『日本国語大辞典』です。百科事典ではなく国語辞典なのに全部で13巻もある堂々とした風格です。ちなみに14巻は索引です。
中型辞典は3つで、それが『広辞苑』と『大辞林』と『大辞泉』です。『舟を編む』の中で刊行される『大渡海』は中型辞典、つまり、『広辞苑』や『大辞林』と同じ規模感のものということですね。
そして、私たちが頻繁に用いている、いわゆる普通の国語辞典は「小型辞典」です。代表的な国語辞典は『岩波国語辞典』『三省堂国語辞典』『明鏡国語辞典』などでしょうか。私はほかに『新明解国語辞典』と『現代国語例解辞典』を使っていますが、どれも個性豊かな愛すべき辞書たちです。もちろん、ほかにも魅力的な国語辞典がたくさんあります。
国語辞典選びは人生のアドバイザー選びのようなものだと思います。1冊を使い込むというのもいいですが、経験的には複数用いたほうがいいと思います。現在はそれぞれの目的に応じた辞典もたくさん出ていますし、Web版も充実していますから、どれを使ったらいいか迷いますよね。
Web版の国語辞典の台頭の時代に
Web版の国語辞典が増えて使い勝手もよくなっている現代においては、『舟を編む』のような描写はもう出てこないのかもしれません。いずれ紙の辞書は消えていってしまうのでしょうか。それはとても寂しいことですが、時代の要請ということなら受け入れるしかありません。
でも、逆にいえば、紙の辞書には紙のよさがあるとみんなが認識したら、いつまでもなくならないということですので、Web版と併用しながら紙の辞書も積極的に用いていきたいですね。書棚に辞典が並んでいるだけで、なんだか満たされた気分になります。
Web版は、いつでも辞書を携帯しているのと同じですし、なんといっても検索ができるのが強みです。でも、紙の辞書をたくさん引っ張り出して、同じ見出しを広げて、それを机の上にずらーっと並べてあれこれ思案する時間が私はとても好きです。紙の辞書は、「あの辞書の左下のページの挿絵の隣に書いてあったはず」などと記憶の手助けにもなりますしね。
もうプレミアがついて入手困難な辞書もあります。高くて買えないんです。そういう辞書を増やさないためにも、みんなで積極的に使っていけたらいいなと思っているところです。
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どれもいいです。映画もアニメも原作に忠実ですので、よかったらお好きなものを選んで鑑賞してみてくださいね。最後まで読んでくださってありがとうございました!