心が大人になった方におすすめな洗練された作品
アニメは日本が世界に誇るカルチャーです。シーズンごとにたくさんのアニメ作品が登場しているので、古いものから現在までとなると、どう頑張っても全部は見られません。アニメ鑑賞に割ける時間も限りがありますから、どうせならすぐれた作品をまずは見ておきたいですよね。そんな思いから、特に次世代につないでいきたい名作をお伝えするこのシリーズ、今回ご紹介するのは『昭和元禄落語心中(しょうわげんろくらくごしんじゅう)』です。
『昭和元禄落語心中』は、雲田はるこさんの漫画が原作で、数々の賞を受賞しているすごい作品です。2016年からテレビアニメが放送されましたが、これはぜひぜひ大人の皆さんに見ていただきたいアニメで、幼少期から人生を終えるまでの切なく美しい機微が描かれているんです。2018年にはNHKでテレビドラマ化もされました。あの名作をいつでも気軽に楽しめるんですからなんともありがたいことです。ぜひともお薦めしたい名作です。
「落語」は日本の伝統芸能であることを再認識
恥ずかしながら、私はこの作品を見るまで、「落語」と「漫才」の違いさえもはっきりとわからないほどでした。着物を着て座って語るのが「落語」で、服装が自由で立って話すのが「漫才」くらいの認識でいたんですが、このアニメを見て、いきなり後ろからガーンと殴られたような衝撃を受けましたし、同時に、感動して震えるような感覚になりました。本当に見てよかったと思います。そして、改めて「落語」とは日本の誇れる伝統芸能であるという認識を新たにしたところです。
『昭和元禄落語心中』どのあたりがすごいのかというと、落語という伝統芸能の基本的なことが理解できるのはもちろんですが、そこに師弟関係や同門関係、色恋事や複雑な家族関係というストーリーを織り交ぜていること、そして、本物の寄席さながらに演じられる演目がすばらしいんですね。声優さんの力量に感じ入るばかりです。つまり、アニメそのものが芸術作品になっているんです。
『昭和元禄落語心中』のあらすじとみどころ①
まず、この物語の主人公ですが、「八代目有楽亭八雲」という落語家です。真打ちになる前までは「菊比古」と名乗っていました。彼には幼い頃から同門で切磋琢磨した「助六」というライバルがいて、助六を襲名する前は「初太郎」といいました。
彼らは正反対の性格で、菊比古はきちんとした家の出で、真面目で努力家であり、言われたことを守る優等生タイプです。一方の初太郎は、サボってばかりで自由奔放、稽古ぎらいなのに落語のセンスが抜群にいいという、いわゆる天才肌です。
襲名前後で名前が変わるのでややこしいのですが、優等生のほうを「菊比古」、天才肌のほうを「助六」としてあらすじをご紹介したいと思います。
菊比古には好いた女性がいました。「みよ吉」というその女性は、満州で娼婦をしていて、帰国後は芸者の仕事などをしていました。しかし、師匠から相手としてふさわしくないと忠告された菊比古は、みよ吉に別れを告げます。
失意のみよ吉を慰めたのは助六でした。助六はみよ吉が好きでしたが、みよ吉は菊比古のことが忘れられません。それでも助六と暮らしているうちに子どもを身ごもり、田舎に移り住んで女の子を出産し、その子に「小夏」と名付けます。
姿を消した助六を心配した菊比古が捜しにいくと、助六はすさんだ生活を送っていました。そこで、なんとか東京に連れ戻してまた落語に復帰してもらおうと準備していたやさき、みよ吉と助六は心中してしまいます。残されたのは小夏です。好きな女性と無二の親友のあいだにできた子どもを菊比古はどうしたでしょうか。ここまででもドキドキですよね。
『昭和元禄落語心中』のあらすじとみどころ②
結論としては、菊比古が引き取って生涯独身を貫きながら育てるわけですが、小夏と菊比古の関係は険悪です。それでもどうにか同居を続け、小夏が年頃の娘に成長したところから第1話が始まります。つまり、菊比古が「八代目八雲」を襲名してからを物語の冒頭で描き、回想シーンとして「菊比古」だった時代に戻っているんですね。このあたりの構成も見事だと思います。
最初に登場するのは刑務所帰りの強次です。刑務所慰問に来てくれた八雲の『死神』という演目に魅せられて、出所したら弟子入りしようと心に決めていたのですが、晴れて弟子入りを許され「与太郎」の名をもらいます。この与太郎がまたいいヤツで、名前のとおりちょっと残念な部分もありますが、落語のセンスも情熱もあります。
泣かせるのは、小夏が父親知れずの子を身ごもり、一人で産んで育てると宣言したときに「自分が子どもの父親になる」と申し出るんです。明確な恋愛感情でもなく、同情でもなく、「大切な人の大切な子どもだから自分が支えたい」というところに胸が詰まる思いでした。このあたりの心情は作品を見ていただかないと伝わりそうもありませんので、ぜひご覧になってくださいね。
「落語」はどうして「落語」というの?
そもそも「落語」はどうして「落語」というのかというと、「落ち」がつく話だから「落語」なのだそうです。「落ち」というのは、「~というわけでした。チャンチャン」という最後の締めの部分で、落語では「サゲ」といいます。
「落ち」というと、うまいダジャレをかまして終わるパターンを想像しますが、それはほんの一部で、「ほう!」と感心したり、「なるほど」と考えさせたり、「えっ?」と驚かせたり、しぐさだけで終わったり、いろいろな「サゲ」のパターンがあります。
また、「落語」というと笑える話を想像しがちですが、ストーリーは実に多様で、「滑稽噺(こっけいばなし)」だけでなく、「人情噺」や「怪談噺」「泥棒噺」、それに「旅ネタ」や「長屋噺」、そして、与太郎そのものが主人公の「与太郎噺」など、さまざまな種類があります。
「与太郎」というのは、「だめな男」の意味ですが、もともとは、よたよたしていることから「与太郎」になったそうです。与太郎は落語にはなくてはならない存在で、ドジでおっちょこちょいだけれども憎めない愛されキャラの設定が多いようです。作中の与太郎も、まさにそんな感じです。
「噺」と「話」は違う? 「国字」とは?
落語では「人情噺」のように「話」ではなく「噺」を用いますが、「噺」というのは、「珍しい話」という意味です。
「噺」は国字なんですね。国字というのは、漢字の構成法を倣って作られた日本独自の文字ですから、文字を見ればだいたいの意味が推測できます。「噺」であれば「口」偏に「新」ですから、これまでになかった斬新な話、珍しい話の意味を「噺」という漢字に込めているんですね。
国字としては、「噺(はなし)」のほかに、「峠(とうげ)」や「榊(さかき)」「笹(ささ)」「躾(しつけ)」などがあります。「峠」は常用漢字ですが、ほかは常用漢字表にはない表外字なので、原則としてはひらがなで表記することになりますが、文字が意味を表現しているので、つい用いたくなってしまいますよね。
『昭和元禄落語心中』に出てくる代表的な落語三選
作中では寄席の場面が数多く描かれていて、それを演じる声優さんがまたすばらしく、本物の噺家さんかと思うほどです。その中で代表的なものを3つ取り上げ、ごく簡単にあらすじを紹介したいと思います。与太郎が演じた『出来心』、助六の『芝浜』、そして八雲の『死神』です。
落語『出来心』のあらすじを簡単に
泥棒の親分宅に子分の泥棒がやってくるが、この子分、見込みがないので親分に見限られる寸前である。親分は、おまえにできるのはせいぜい空き巣だといい、「ごめんください」といって、返事がなければものを盗み、見つかったら「出来心で」と泣き落としで許してもらうようアドバイスする。
子分の泥棒はあちこち忍び込もうとするが、なかなかうまくいかない。ようやく留守宅に忍び込むと、その家には盗むようなものは何ひとつなく、あれこれ物色しているうちに家人の八五郎が戻ってきた。八五郎は泥棒に入られたことを理解するが、そもそも盗まれるものは何もない。そこで、泥棒に入られて金をとられたことにして、家賃の支払いを延ばしてもらうことを思いつき、家主を連れてくる。
事情を聞いた家主は、被害届を出すために何をとられたのか質問する。八五郎は、いかにも泥棒が盗みそうなものを考えるが、実際には持っていないものなのでどう説明していいのかわからず、布団の裏が花色木綿、洋傘や紋付き、タンスまで、みんな花色木綿の裏が付いていたことにしてまう。
その話を聞いていた泥棒は我慢ならなくなり、隠れていた床下から飛び出して、そんなものは一切なかったと暴露する。こうして自分から名乗り出てしまった泥棒は、家主に泥棒に入った理由を尋ねられ、こう答えたのだった。「つい、出来心で…」。
落語『芝浜』のあらすじを簡単に
天秤棒を担いで売り歩く行商人の男がいた。この男、腕はいいものの酒におぼれてうだつが上がらない。その日も女房に促されてしかたなく魚市場に仕入れに向かうが、早すぎたのか市場はまだ開いていない。芝の浜で一服していると、浅瀬に沈んでいる財布を拾った。見れば中には驚くほどの大金が入っている。喜んで家に帰り、これでもう働かなくていいと、酒を飲むと、すぐにまた寝てしまったのだった。
翌朝、男は女房に起こされた。仕事に行ってほしいというのだ。きのう拾った財布の金があるだろうと答えるが、そんな財布は知らないし、夢でもみたんだろうと女房はいう。夢だったと気づいた男はすっかり情けなくなり、心を入れ替えて酒を断ち、それから真面目に働くようになった。
3年ほどたった大みそか、借金も返し終え、表通りに小さな店を構えることもできた。女房はもう大丈夫だと思い、財布を拾ってきたのは夢ではなかったのだと打ち明ける。長屋の大家と相談し、財布を拾得物として役所に届けたが、落とし主が現れなかったので、そのお金が下げ渡されたのだという。
それを聞いた男は、夢にしてくれてよかった、おかげで道を踏み外さずに済んだと感謝する。女房は、酒を断って頑張ってきた夫をねぎらい、久しぶりに酒を勧める。ためらいながらもうれしそうに杯を手にした男だったが、ふいに杯を置くとこう言うのだった。「よそう。また夢になるといけねえ」。
落語『死神』のあらすじを簡単に
何をやってもうまくいかず、貧乏な男がいた。いっそのこと死んでしまいたいと考えていると、そこに自分は死神だという老人が現れ、死ぬには早い、医者になって金もうけをしたらどうかと声をかける。死神がいうには、病人の枕元に死神がいれば助からないが、足元にいたなら、呪文を唱えることで死神は消えて助かるのだという。
男が半信半疑で医者の看板を出したところ、頼まれた病人は運よく足元にばかり死神がいたため、呪文を唱えて死神を消し、たちまち名医の評判が立った。贅沢三昧をして暮らしていたが、あるときからことごとく死神が枕元にいるようになり、それからというものヤブ医者とうわさされ、再び貧乏になってしまった。
そんな折、大金持ちの商家から依頼があった。行ってみるとやはり死神は枕元にいる。しかし、なんとかうまくやり遂げたい男にある考えが浮かんだ。死神が居眠りをしている隙に布団をくるりと回し、頭と足を逆にしてしまおうという魂胆だ。そして、それは見事に成し遂げられ、呪文を唱えると死神は消えたのだった。
帰り道、男は例の死神に声をかけられ、たくさんのろうそくがともる洞窟に連れていかれた。しかし、その中の1本が今にも消えそうである。これはさっき助けた命とすり替わったおまえの寿命だ。この火が消えればおまえの命も尽きるというのだ。命乞いをする男に、死神は、もしも新しいろうそくに火を移せたなら助かるだろうと告げる。
男は、消え入りそうな火のろうそくを手に持ち、新しいろうそくに移そうとするが、緊張のあまり手が震えてなかなかうまくいかない。背中から死神が耳元でささやく。「消えるよ。消えるよ」。焦る男に死神がまたささやく。「消えるよ。消えるよ。……ほら消えた」。
※『昭和元禄落語心中』では、演者がその場に倒れ込む「しぐさ落ち」で終わる。
まとめ
こんなふうに『昭和元禄落語心中』は、「落語の醍醐味×ストーリーの醍醐味」で面白さが倍増している作品ですので、ぜひぜひご覧になってください。
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