ハレとケの意味|なぜ雨でも「晴れの日」なの? 通過儀礼が持つ「人生の区切り」とは?

なりきり知識人

非日常の「ハレ」は「晴れ着」を着る特別な日

お天気がいいことを「晴れ」といいますよね。それに、入学式や結婚式など特別な日を「晴れの日」、人前に立って華やかな役割を担うことを「晴れの舞台」、特別な日に着る服を「晴れ着」など、「晴れ」というのはなんだかキラキラしたものを連想しますよね。

当日が土砂降りでも「晴れの日」には変わりがありません。そこで、特に民俗学や文化人類学では、いつもと違う特別な日を「ハレ」とカタカナで表記するんですね。これでお天気の「晴れ」と区別できそうです。

「ハレ」という概念を提唱したのは、民俗学の父・柳田國男(やなぎたくにお)です。儀礼や祭礼などの特別な日を「ハレ」として日本人の世界観を表したんです。

「晴れ」ってお天気のことだけじゃなかったんだね。

日常の「ケ」は「普段着」で過ごすいつもの日

反対に「何にもない普通の日」を「褻(け)」といいます。難しい漢字ですが、民俗学では「ケ」とカタカナにします。これは「ハレ」に対しての「ケ」ですね。

「褻」を漢和辞典で調べてみると「下着」や「普段着」という意味が載っています。つまり、お出かけ着が「晴れ着」で、普段着が「褻」なんですね。「ハレ」がスペシャル(special)だったら、「ケ」はオーディナリー(ordinary)ですね。

「ケ」って初めて聞いたけど、「日常」の意味なのね。

ちなみに、「褻(け)にも晴れにも」という慣用句がありますが、これは、「日常も非日常も」「何かあってもなくても」、つまり「いつもいつも」という意味です。

・褻(け)にも晴れにも子どものことばかりが気がかりです。

「ハレ」の日があるのは、「ケ」が続くと精神的によくないから

毎日、何の変哲もない日常ばかりだと、生きるのが楽しくなくなったり、何のために働いているのかわからなくなったりしますよね。それが「ケガレ(気枯れ)」です。つまり、「ケ」が枯れてしまっている状態なんですね。

ですから、昔の人は特別な「ハレ」の日を意図的に設けることで、気持ちを立て直していたと考えられます。つまり「ハレの日」は、人々が生きる気力を取り戻すための生活の知恵だったんですね。

現代においても、記念日や誕生日を祝ったり、季節の行事を楽しんだり、特に何もなくても自分にご褒美をあげたりしますよね。そうやって日常生活に変化を取り入れるのは、賢い知恵ではないでしょうか。

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「通過儀礼」ってどんな意味?

子どもの成長にあわせて七五三のお祝いをしたり、入学式や卒業式をしたり、大人になると入社式や結婚式があったり、人生を終えた人のお葬式を行ったりと、「ハレ」の日には儀式を行うことが多いですよね。これを「通過儀礼」と呼びます。

通過儀礼とは、ある状態から別の状態へ移行する際に行われる儀礼のことです。儀礼を行うことで、きのうまでの自分と決別し、あしたから新しい自分を生きることを確認するんですね。ただ、近年は成人式に参加しない人が増えていますし、結婚式をしないカップルも多いですから、儀式に臨む機会は少なくなっているように思います。

(ライフサイクルにおける通過儀礼の例)
誕生:お宮参り、お食い初め
成長:七五三、十三参り
成人:成人式(かつての元服)、入社式
婚姻:結婚式
長寿:還暦、古希などのお祝い
死 :葬儀、年忌法要

退屈だと思っていた式典にも意味があったのね。

儀式だけが通過儀礼ではない

でも、儀式だけが通過儀礼ではありません。通過儀礼とは、次に進むためにどうしても通らなければならない門のようなものですから、厳しい受験勉強とか、不登校になってしまった期間とか、ある物事が通過儀礼の役割を果たすことがあります。「あのことがあったから今の自分がある」と思えたら、それは無事に通過儀礼を終えたということになるのではないでしょうか。

一方で、式典というのは形式的なものばかりではなくて、区切りをつけて一歩踏み出すためにと考えられたものですから、堅苦しいからと敬遠せずに、厳かな気持ちで臨んでみることも、きっと大事なことなのだと思います。

苦しかった経験も、通過儀礼だと思えば意味のあることに思えてくるね。

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