民俗学の「ハレ」と「ケ」/雨でも「晴れの日」なのはどうして?

洋服を着たクマ なりきり知識人

非日常のことを「ハレ」といいます

お天気がいいことを「晴れ」といいますよね。それに、入学式や結婚式など特別な日を「晴れの日」、人前に立って華やかな役割を担うことを「晴れの舞台」、特別な日に着る服を「晴れ着」など、「晴れ」というのはなんだかキラキラしたものを連想します。もちろん、当日が雨でも「晴れの日」です。

ただ、学問において、特に民俗学や文化人類学では、いつもと違う特別な日を「ハレ」とカタカナで表記します。なぜかというと、非日常とは晴れがましいことばかりではないためです。

災害に見舞われた日も非日常、お母さんが入院してしまったのも非日常、おじいちゃんが亡くなった日も非日常、非日常は誕生日やバレンタインデーのような好ましい日ばかりではありません。それで、お天気の「晴れ」と区別して「ハレ」とカタカナで書くんですね。

「晴れ」ってお天気のことだけじゃなかったんだね。

日常のことを「ケ」といいます

「日常」の反対は「非日常」で「褻(け)」といいます。難しい漢字で、常用漢字ではないので、本来なら「け」とひらがなにするところですが、民俗学では「ケ」とカタカナにします。これは「ハレ」に対しての「ケ」ですね。

「ハレ」がスペシャル(special)だったら、「ケ」はオーディナリー(ordinary)です。「ハレ」に関する慣用句はたくさんあるのに、「ケ」に関するものはさっぱりありません。一年のうちでは圧倒的に「ケ」のほうが多くて、「ハレ」の日はほんの少ししかないのにです。それくらい日常というのは意識されずに、記憶にさえも残らずに、忘れ去られていくんでしょうね。

「ケ」って初めて聞いたけど、「非日常」の意味なのね。

ちなみに、「褻(け)にも晴れにも」という慣用句がありますが、これは、「日常も非日常も」「何かあってもなくても」、つまり「いつもいつも」という意味です。

・褻(け)にも晴れにも子どものことばかりが気がかりです。

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「通過儀礼」ってどんな意味?

子どもの成長にあわせて七五三のお祝いをしたり、入学式や卒業式をしたり、大人になると入社式や結婚式があったり、人生を終えた人のお葬式を行ったりと、「ハレ」の日には儀式を行うことが多いですよね。これを「通過儀礼」と呼びます。

通過儀礼とは、ある状態から別の状態へ移行する際に行われる儀礼のことです。儀礼を行うことで、きのうまでの自分と決別し、あしたから新しい自分を生きることを確認するんですね。ただ、近年は成人式に参加しない人が増えていますし、結婚式をしないカップルも多いですから、儀式に臨む機会は少なくなっているように思います。

退屈だと思っていた式典にも、ちゃんと立派な意味があったのね。

でも、儀式だけが通過儀礼ではありません。通過儀礼とは、次に進むためにどうしても通らなければならない門のようなものですから、厳しい受験勉強とか、不登校になってしまった期間とか、ある物事が通過儀礼の役割を果たすことがあります。「あのことがあったから今の自分がある」と思えたら、それは無事に通過儀礼を終えたということになるのではないでしょうか。

一方で、式典というのは形式的なものばかりではなくて、区切りをつけて一歩踏み出すためにと考えられたものですから、堅苦しいからと敬遠せずに、厳かな気持ちで臨んでみることも、きっと大事なことなのだと思います。

苦しかった経験も、通過儀礼だと思えば意味のあることに思えてくるね。