はじめに
「じゅうぶん」というときに、「十分」と「充分」の両方の表記を見かけますが、これはどちらが正しいのでしょうか。
国語辞典を開くと、「十分」と「充分」は並列で記載されていて、同じ意味として扱われていますので、どちらでも間違いではありません。ただ、公用文をはじめ、新聞表記、議事録表記、そしてNHKにおいても、「じゅうぶん」は「十分」と書くように示しています。ですから、特にこだわりがなければ「十分」のほうがいいんですね。
「充分」のほうが好きな方も人もいらっしゃると思いますし、もちろん自由に表記していいわけですが、どうして「十分」がスタンダードなのかを知っておくことは無駄ではないと思いますので、今回は「十分」について深掘りしてみたいと思います。
「十分」の意味を確認しよう
まず、念のため「十分」の意味を確認しておきましょう。「十分」とは「十に分けたうちの十」ということで、転じて「満ち足りて不足がない」という意味で用いられます。用例としては次のようになります。
・十分な休息が必要です。
・栄養が十分ではないようです。
・まだ十分に活躍できる年齢です。
・もう十分に堪能しました。
・単身で住むには十分な広さです。
【理由①】「一分」と「十分」は特別な意味がある
「十分」のほかに特別な意味を有しているものに「一分(いちぶん)」があります。これは「十に分けたうちの一」のことで、「ほんの少しの量」を表します。さらに、そのことから転じて「自分が保つべき最低限の面目」を意味するようになりました。
「一分が立つ(いちぶんがたつ)」という言い方は聞いたことがあるかもしれません。これは「自分の面目だけは立つ」という意味なんですね。以前、木村拓哉さん主演の『武士の一分』という映画がありましたが、これは「武士がどうやっても守らなければならない名誉や面目」のことです。
もちろん「一分」や「十分」のほかに、「三分」も「五分」も「八分」もありますが、「分」は数字と一緒に用いることで量を示していました。このようなことからも、「十」という数字を用いることに一定の意味があることがおわかりいただけるのではないかと思います。
【理由②】「十分」は「充分」よりも歴史が古い
また、「十分」は「充分」よりも古くから用いられていたことが挙げられます。なんでも菅原道真の『菅家後集』の中にもある表記だそうです。菅原道真といったら平安初期の人ですから、このことからも「十分」が本来的な用い方であることがうかがえます。
「充分」というのは、「じゅう」という音が同じであることと、「充足」という意味から生まれたものと推測されますが、こちらはあとから派生して使われるようになった表記です。そのため、公用文をはじめとして、すべての表記辞書で「十分」を採用しているんですね。
「○分」を用いた成句を確認しよう
これまで見てきたように、「分」とは「10分の1ごとの量や程度」を示すものでしたが、では、ほかにどのような成句があるか見ていくことにしましょう。
三分(盗人にも三分の理)
「三分」の代用的な成句は「盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり)」ではないでしょうか。これは、「泥棒にも三分ぐらいは理由があるものだ」というような意味です。
五分(一寸の虫にも五分の魂)
半分半分であることや優劣がつけられないことを「五分五分」などといいます。ほかに代表的な成句としては、「一寸の虫にも五分の魂(いっすんのむしにもごぶのたましい)」があります。これは、「どんなに小さく弱い存在であっても、相応の意思や考えはあるものだ」という意味です。
八分(腹八分)
八分というと、やはり「腹八分」や「腹八分目」がよく使われますが、おなかいっぱい食べずに八分目ぐらいでやめておくことが健康の秘訣のようです。また、昔は「村八分」というコミュニティーにおける仲間はずれがあったそうです。掟を破った者とは一切の関わりを断つものの、火事と葬儀だけは例外だったことから「八分」とされました。
九分(九分九厘)
ほとんど間違いなく確実なことを「九分九厘」といいます。あと一厘でパーフェクトな「十分」ですね。また、「九分どおり完成した」のようにも用います。
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このように「十分」とは、もともとは「十のうちの十」であることを示すものであるため「充分」よりも「十分」が、本来的な表記であるということになります。
まとめ
ここまで、「十分」のほうがもともとの表記である根拠をまとめてみました。公用文でもマスコミでも「十分」と書きますので、「十分」と覚えてしまったほうが何かと都合がいいのではないかと思います。強制というわけではないものの、特にこだわりがなければ「十分」を使ってみてくださいね。
最後までお読みくださりありがとうございました!