はじめに
『チ。-地球の運動について-』の衝撃が大きすぎて、感動が止まりません。間違いなく将来にわたって記憶に残り続ける名作だと思います。このような気持ちになったのは『進撃の巨人』以来かもしれません。
また、主題歌の「怪獣」もとてもインパクトのある名曲で、まさに「何度でも」聴きたくなります。サカナクションさんの熱量が伝わってきます。
このように、奇跡のようにしてできた名作にめぐりあえた感謝を、記憶が新しいうちに感想としてまとめておきたいと思います。
ネックレスは誰の手に渡ったのか
作品全体を通して流れているのは「タウマゼイン」です。「タウマゼイン」とは「知的探求の始まりである驚き」、いわば知的好奇心のことです。知的好奇心が人の生き方そのものを変えてしまうんですね。
そのタウマゼインの象徴となっているのがネックレスで、ネックレスは、自分に成し遂げられなかったものを次の人に託すものとして描かれています。やがてネックレスは、活版印刷の登場によって役目を終えます。個人から個人へ託すフェーズを終えてたくさんの人につながったんですね。その意味では、印刷機もまた巨大なネックレスなのかもしれません。
そこで、ネックレスは誰の手に渡ったのかを振り返って、それぞれの登場人物の役割を再確認してみたいと思います。
(ネックレス)フベルト → ラファウ → 異端者 → オグジー → ノヴァク/(印刷機)ヨレンタ → デュラカ/(出版物)アルベルト → 学生
第1章・第2章/ネックレスをつないだ人たち
フベルト
最初にネックレスを持っていたのは異端者のフベルトです。彼は異端思想を研究していたとして捕らわれていましたが、改心したと偽って釈放されます。しかし、彼は若いラファウを救うために罪を一人で背負い、結局は処刑されてしまいます。
彼とラファウのやりとりの中で印象深いのは、フベルトが「私は命を張る場面でこそ直感を信じる」と言い切るシーンです。直感とは単なるあてずっぽうではなく、知の集積が直感として表出されるんでしょうね。フベルトがラファウを守ったのも、直感がそうさせたのかもしれません。
ラファウ
フベルトからネックレスを託されたのはラファウです。年齢は12歳ですから若者の代表として登場させています。彼は非常に優秀で、しかも合理的な考えの持ち主で、どうすれば最も自分にとって都合がいいかを客観的に判断する力を持っています。どの時代にも彼のような「現代っ子」はいるのではないでしょうか。
そんなラファウが、自分の命よりも「知」を次の人に託す選択をしたことは衝撃的でした。「こんなに早く主人公が死んじゃってどうするの?」と慌てたほどです。ラファウが死んでもネックレスが消失していないことを考えると、連行される前に石箱に戻しておいたのでしょう。そうすると、彼はすでに何かを察していたことになります。たった12年の短い命でしたが、ラファウの存在は、その後もずっと語り継がれることになりました。
異端者
10年後、突然、正体不明の異端者が登場します。彼は天体の観測をしていたときに石に刻まれたしるしを偶然に発見し、ラファウが命と引き換えに守った石箱を見つけますが、そのときにネックレスを手にしたと考えられます。
ラファウから異端者にネックレスが引き継がれるまでに10年を要しましたが、その間、石箱は消えたわけではなく、ネックレスを受け継ぐ資格がある人に発見されるのを待っていたんですね。
オグジー
異端者からネックレスを託されたのはオグジーです。オグジーは物語の中でとても重要な役割を果たしています。なぜなら、彼は学問に触れる機会のない下層の平民として描かれているためです。このことは、知的好奇心は裕福な人たちが独占できるものではないことを示してくれています。
オグジーは、文字を覚えて天体観測で得た感動を本にまとめます。研究者ではありませんから、内容は感想文や日記のようなものでした。でも、だからこそ広く一般の人に浸透したんですね。このことは、庶民と学者に優劣があるわけけではなく、役割が異なるだけだと教えてくれていて、とても感動的なものになっています。
ノヴァク
オグジーからネックレスを引き継いだのではなく、いまいましいものとして所有していたのは異端審問官のノヴァクです。オグジーはノヴァクによって激しい拷問を受け、最後には処刑されて命を落としますが、その際に手に入れたのでしょう。
ノヴァクは、異端を取り締まることこそが善だと信じて疑いませんでした。しかし、彼は最期に自分の過ちに気づいてしまいます。その苦悩はどれほどのものだったでしょうか。死を目前に、「どうか娘が天国に行けますように」と祈る姿は思わず涙を誘います。そこでネックレスも焼けてその役割を終えることになります。
死ぬ間際にノヴァクの目前にラファウが幻覚となって現れますが、そこでラファウは語りかけます。「僕は、同じ思想に生まれるよりも、同じ時代に生まれることのほうがよっぽど近いと思う。(中略) 今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合うほど憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする」。これはかなり刺さるセリフでした。
第3章/ネックレスから印刷機へ
ネックレスが消失して、次に「つなぐ」役割を担うのは印刷機です。では、どのような人が印刷機に関わったのか、代表的な2人を取り上げてみたいと思います。
ヨレンタ
ヨレンタは、女性だという理由で学問を阻まれた不遇な人物として描かれます。しかも、父親は異端審問官のノヴァクという複雑な立場です。ただ、彼女はすでに命よりも大切な「タウマゼイン」を見つけていました。
ヨレンタが小さいころ父親に買ってもらった手ぶくろは、サイズがひどく大きくて役に立たなかった描写がありますが、これは、父親の思いは娘にとっては見当違いであることを示唆するものです。最期にヨレンタは父親の前で自爆しましたが、そのことは、自分の幸せを自分の力で見つけたことを証明している行為にも見えました。
デュラカ
デュラカもまた聡明な女性ですが、学問としてではなく、経済面から印刷機にアプローチしたという意味において非常に重要な立ち位置です。つまり学問は、研究するだけでは不十分で、それを広く知らせる立場の人がいなければ成り立たないということですね。
デュラカはお金を生み出す仕組みをいつも考えていました。この視点はとても納得できるのではないかと思います。節約して暮らすのも一案ですが、節約で減るスピードは遅らせてもお金を生み出すことはできません。何かを生産しなければ生活できないんですね。
デュラカが刺されて息絶える直前、最期に日の光を浴びるシーンは、無神論者の彼女が抱いた神への畏敬の念のようでもありました。
最終章/2番目のラファウの役割
アルベルトとラファウ
それから月日は流れ、登場するのはアルベルトです。彼には悲しい過去があって学問から遠ざかっていましたが、再び学問を志すようになる経緯が描かれます。
アルベルトの回想シーンで驚くことが起こります。あのラファウがアルベルトの家庭教師として登場するのです。1人目のラファウと同一人物かどうかですが、本人というのは年齢からしても考えづらいのが気になります。
ただ、ラファウを登場させた意図は理解できます。それは科学信奉への警鐘です。ラファウは協力的ではなかったアルベルトの父親を簡単に殺害してしまいますが、いくら知の追究のためとはいえ非道すぎます。つまり、科学がまるで神のようにあがめられることの危険性を示すために登場させたと考えられます。
AIがもてはやされ、遺伝子操作で存在しないものをつくりだし、地球を破壊できるほどの兵器もできてしまう現在、知の追究といえば尊敬されたたえられる世の中ですが、科学の盲信は神の盲信と同じくらい危ういものだと教えてくれるのが2番目のラファウの役割なのではないでしょうか。
その後、アルベルトは大学で教鞭を執る立場となりますが、そのころには活版印刷が浸透して、知の独占は解消される時代になります。
まとめにかえて(科学を神にしないために)
物語の舞台となる15世紀はまさに宗教改革の時代です。物語はフィクションですが、実際に宗教的な対立があったことを私たちは世界史などで学習しています。
聖職者たちは「神から選ばれた者」を自称して裕福な暮らしをしています。そして貧しい民には「原罪」という罪をきせて、この世がつらいのは神様がそのようにつくられたからだといいます。そして、お金もうけのために「免罪符」を発行して、これを買えば「原罪」から解き放たれますなどと因果な商売をやっていたんですね。
聖職者たちは、神を信じるしかなかった民に支えられていました。だからこそ、彼らが賢くなることをおそれて教育を授けなかったにちがいありません。
「神」を「科学」に置き換えれば、これからの時代、ただ「科学」にひれ伏すだけでは足りないんですね。私などは「科学的根拠」というフレーズに、よく理解せずに絶対的な信用を置いてしまいがちですが、それはまさに科学を宗教化してしまう行為です。科学に直接的に関わっていないとしても、例えばデュラカのように別の視点から科学を見ることはできるのかもしれません。技術の進歩に恐れおののいてばかりいないで、もう少し積極的に正しい道を見極められるようになる必要がありそうです。
歴史に名を残す有名な人だけが世界をつくっているのではなく、ありとあらゆる人が今という時代を構成している、そう考えたときに、私にも世の中の構成員としていくばくかの役割と責任があるのかもしれないと気づかされた作品でした。
以上、『チ。』の感想を簡単にまとめてみました。この感動を多くの人と分かち合えたらいいなと思います。まだご覧になられてなかったら、ぜひとも視聴してみてくださいね。最後まで読んでくださってありがとうございました。