『ねずみの嫁入り』の要旨
『ねずみの嫁入り』は、婚期を迎えた娘の嫁ぎ先選びに奔走するねずみ夫婦の姿を通して、あれこれ思い描いても、結局は現実的なところに落ち着くものですよと教えてくれる物語です。
『ねずみの嫁入り』のあらすじ
昔、あるところにねずみの夫婦がいました。この夫婦にはようやく授かった一人娘がいてたいそうかわいがっていましたが、年頃になったので、そろそろ嫁に出すことにしました。父さんねずみは言いました。「ちっぽけなねずみではなく、できるだけ立派な者に嫁がせたいが、誰がよいだろう」。
母さんねずみは言いました。「いちばん偉いのはお日さまです。なにしろ空から地上を照らしているのですから」。それもそうだと思った父さんねずみはお日さまのところに出かけていって、娘を嫁にもらってくれるよう頼みました。
ところがお日さまは、「いちばん偉いの私ではない。私をたちまち隠してしまう雲さんのほうが偉い」といいます。それもそうだと思った父さんねずみは、雲さんのもとを訪ねて、娘を嫁にもらってくれるよう頼みました。
ところが雲さんは、「いちばん偉いのは私ではない。私をすぐに吹き飛ばす風さんのほうが偉い」といいます。それもそうだと思った父さんねずみは、次は風さんのもとを訪ねて、娘を嫁にもらってくれるよう頼みました。
ところが風さんは、「いちばん偉いのは私ではない。私がいくら吹きつけてもびくともしない壁さんのほうが偉い」といいます。それもそうだと思った父さんねずみは、今度は壁さんのところへ行って、娘を嫁にもらってくれるよう頼みました。
ところが壁さんは、「いちばん偉いのは私ではない。私がいくら頑張っても、簡単に穴をあけてしまうねずみさんのほうが偉い」といいます。なるほどと思った父さんねずみは家に帰り、母さんねずみにこう言いました。「世界でいちばん偉いのはねずみだ。ねずみに嫁入りさせよう」。
こうしてめでたく娘のねずみは、ねずみの婿のもとに嫁入りしましたとさ。
『ねずみの嫁入り』の感想
いろいろとツッコミどころ満載のこの昔話ですが、結局はねずみのもとに嫁ぐことができてよかったですね。仮に「お日さま」と「ねずみ」が夫婦になったとして、ねずみが幸せに暮らせるかどうか、なかなかイメージしづらいですからね。
でも、もしかすると「お日さま」たちは、「ねずみごときを嫁にもらうはずがないじゃないか」と思ったけれども、傷つけないようにやんわり断ったのかもしれません。だとしたら、なんと上手な返しでしょうか。いずれにしても、高望みの滑稽さを誇張するために、あえて動物ではないものをお婿さんの候補にしているあたり、センスがいいなと思います。身の丈に合った相手がいいですよと気づかせているんですね。
『ねずみの嫁入り』は、タイトルが『ねずみの婿取り』になっているものもありますが、ほとんど同じ内容です。昔は、一人娘だったり女の子しかいないと、家を絶やさないためにお婿さんをもらうことがは多かったでしょうから、『ねずみの婿取り』でも違和感はありません。
ただ、私たちは、ねずみの夫婦を笑うことはできないいのではないでしょうか。なぜなら、娘が年頃になると、どこに嫁がせるか気をもむ時代が長く続いていたからです。そしてそれは、「幸せになるため」ではなく「生きていくため」の結婚でした。
適齢期をクリスマスケーキにたとえて、24歳までなら高く売れるけれども、25歳になると価値が下がるなどと平気で口にしていた時代もありましたし、結婚しなければ、「オールドミス」と揶揄(やゆ)され、離婚すれば「出戻りだ」と地域でうわさされ、今ではハラスメントになるような価値観がついこのあいだまで存在していたわけですから、恐ろしいことだと思います。
でも、無事に結婚した女性たちが幸せになったかというと、必ずしもそうではありませんでした。「これが幸せというものなら、幸せってなんてつらいことなんだろう」と多くの女性が思っていたはずです。だからこそ今の少子化なのではないでしょうか。親自身が結婚だけが幸せではないと気づいてしまったのですから、娘に対して「そろそろ結婚しなさいよ」と迫るようなことも以前よりかなり少なくなっている気がします。
少子化の原因は、もちろん経済面のこともあるかもしれませんが、結婚した女性を幸せにしてこなかったことにあるのではないかと私は思います。これまでの日本の繁栄は、たくさんの女性の涙に支えられていたんですね。
「ねずみ」を考察してみた
『ねずみの嫁入り』は鎌倉時代後期の説話集の『沙石集』にある昔話ですが、この話は「あれこれと選んでみても、結局はかわりばえしないところに落ち着く」というたとえとしても用いられるようになりました。
「ねずみ」を主人公にした昔話は、ほかにも『ねずみの餅つき』や『ねずみの相撲』などがありますし、世界でいちばん有名なねずみといえば、ディズニーのミッキーマウスでしょうか。
ペットではないのにこれだけ親しまれているねずみは動物の中でも珍しい立ち位置ですが、かつて、ねずみはどこの家にでも勝手にすみついていたと考えられますので、それだけ身近だったのでしょうね。
そのため、「ねずみ」に関することわざや慣用句がたくさんありますので、ここで代表的なものをまとめてみたいと思います。
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【ねずみ算】
数が急激に増していくことのたとえとして「ねずみ算式に増える」などと用います。もともとは和算の計算問題です。
(ねずみ算の問題)
1月に夫婦のねずみが子を12匹産んで、親と合わせて14匹になりました。2月に親ねずみと子ねずみの14匹が7ペアになって子どもを12匹ずつ産んで、親と合わせて98匹になりました。こうして月ごとに12匹ずつ産むと、12月には何匹になるでしょうか。(答え 276億8257万4402匹)
【ねずみ講】
会員をねずみ算式に増やして、孫会員から子会員、子会員から親会員へと順に送金を繰り返して、巨額な利益を得ようとすること、またはその組織のことです。現在は法律によって禁止されています。
(ねずみ講の仕組み)
まず、一定金額を支払って入会し、入会すると最低でも2名の新規会員を勧誘します。さらに、その2名もまた一定の金額を支払い、それぞれ最低2名を勧誘します。このような方法でねずみ算的に会員を増やすことから「ねずみ講」と呼ばれ、組織は莫大な金額を受け取ることが可能になります。
【ねずみ捕り】
そのままの意味で「ねずみを捕ること」や「ねずみを捕るための道具」のことのほかに、俗語として「警察がスピード違反を取り締まる手法」の意味でも用いられます。どうしてスピード違反の取り締まりが「ねずみ捕り」なのかまではわかりませんが、すばしっこいねずみが急にバシッと足やしっぽを挟まれて身動きがとれなくなる様子と、突然、ピピーと鳴らされて警察官に止められる恐怖が似ているからでしょうか。
【ねずみが塩を引く】
小さいねずみに塩を引かれたところで、少量なので気がつきません。でも、毎晩となれば、いつのまにか大きな損害となってしまいます。このように、小事がつもりつもって大事に至ることを「ねずみが塩を引く」といいます。最近、「少額」のクレジットカードの不正利用被害が多くなっていると聞きます。大金だとすぐにバレてしまうけれども、少額だと、そもそも被害に遭っていることさえ気づかないこともあって、これがまさに「ねずみが塩を引いている」状態です。
【猫の前のねずみ】
猫ににらまれたねずみのように、恐ろしくて身動きができないさまのことです。同じ意味として「蛇ににらまれた蛙」や「鷹の前の雀」があります。
【袋のねずみ】
袋の中に追い込まれたねずみのことで、逃げ出すことのできないたとえとして用います。
【家を破るねずみは家から出る】
家を荒らすねずみは外からやってくるのではなく家の中に潜んでいるのと同じように、国や国家を破滅させる者は、外部ではなく内部から出るものだというたとえとして用います。
【窮鼠猫をかむ(きゅうそねこをかむ)】
ねずみを捕るのは猫ですが、ねずみだって追いつめられれば猫に襲いかかってかみつくこともあるという意味で、転じて、「困って追いつめられれば、弱い者が強い者に立ち向かっていくことがある」という場合に用います。
【大山鳴動してねずみ一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)】
「鳴動」とは大きな音をたてて揺れ動くことです。大きな山が音を立てて揺れたので、何事と思ったら、出てきたのはねずみ一匹だったという意味で、「前触れの騒ぎばかり大きくて、実際の結果はきわめて小さいこと」をいいます。
【時に遭えば鼠も虎になる(ときにあえばねずみもとらになる)】
タイミングさえよければねずみだって虎にもなる、つまり、「好時機にめぐりあえば、つまらない者にも勢いが加わって威勢をふるうようになる」という意味です。
まとめ
今回は、『ねずみの嫁入り』の要旨とあらすじと感想、そして、「ねずみ」にまつわる慣用句をまとめてみました。千葉県にいるかわいいねずみが大好きな人もいれば、夜な夜なはいだしてくるねずみに手を焼いている方も飲食店の方もいらっしゃると思いますが、いろいろな意味でねずみと人間は関わりが深いですね。最後まで読んでいただきありがとうございました。