はじめに:「推し」は俗語なの?
このところ非常によく耳にする「推し」という言い方は、最近になって使われるようになった新しい語です。もともとは「推してるメンバー」の意味だった「推しメン」から「推し活」という語が生まれ、これが市民権を得たことで「推し」という名詞が生まれました。
このような用いられ方をするようになったのは21世紀になってからですが、若い世代では、そもそも「ファンである」や「支持する」という意味の「推す/推し」が俗語であるという認識がない人も多いのではないかと思います。こうやって言葉は変化していくんですね。
ただ、このような使い方は、まだ「若者ことば」の域を出ていませんので、用いる際に注意しなければならないことがあります。今回は、そんなことも少し頭の片隅に置きながら、「押す」と「推す」の違いや使い分けについてまとめてみたいと思います。
「押す」と「推す」はどう違う?
念のため「押す」と「推す」の違いを確認してみたいと思います。それぞれさまざまな意味がありますが、あえてポイントだけ掲載します。
押す:力や重みを加える/強引に押し通す
(力や重みを加える)
・ボタンを押す。
・背中を押す。
・ここを押すと痛い。
(強引に押し通す)
・ここは押し通すしかない。
・雰囲気に押されてしまった。
・無理を押して出席する
推す:推薦する/推測する/ファンである(※新しい使い方)
(推薦する)
・彼を代表に推そう。
・会長に推したい人はいませんか。
・最優秀賞にこの作品を推したい。
(推測する)
・推して知るべし
・事前調査から推すと当選は確実だ。
・発言から推して彼は反対するだろう。
(ファンである ※新)
・推しているアイドルがいます。
・あなたの推しメンは?
・推し活が楽しい。
このようになります。あえて「推し」を用いることもあるかと思いますが、公式な文章において「推し」を用いる場合には、意味を限定するようにしてください。
「いちおし」は「一押し」「一推し」のどっち?
「最も推薦できるもの」という意味の「いちおし」をどう書くかは、国語辞典によっても扱いが分れています。そのため、「いちおし」や「イチオシ」などと漢字を用いずに逃げることも多くあります。
確認のため手持ちの辞書で調べたところ次のような結果になりました。
(「いちおし」の表記)
『岩波国語辞典』「一押し」を用いる
『三省堂国語辞典』「一推し」を用いる
『大辞林』「一推し」を用いる
『明鏡国語辞典』「一押し/一推し」を併記
「一推し」はそもそも俗語であるので用いない、「一押し」を用いるとするのが『岩波国語辞典』の立場です。大御所らしい判断だと思います。
それに対して『三省堂国語辞典』と『大辞林』は「一推し」と書くように示しています。これは時代の流れをくんだ表記を取り入れている立場になります。
『明鏡国語辞典』は表記についての言及はなく、『新明解国語辞典』はそもそも見出しとして取り扱っていませんでした。
こうなってくるとどう書けばいいのかますます困ってしまいますが、「いちおし」という表現自体が俗語ですから、「おすすめです」という意味であれば「一推し」で大丈夫でしょうし、「推薦する」という意味なら「彼が一押しだ」としたほうがよいかもしれません。これは文脈や語感によって各自で判断することになりそうです。判断に迷う場合は「いちおし/イチオシ」にしてください。
(「一推し/いちおし/イチオシ」の用例)
・当店一推しのメニューです。
・当店いちおしのメニューです。
・当店イチオシのメニューです。
(「一押し」の用例)
・彼が一押しの候補者だ。
・この作品が一押しだね。
・一押しの名産品はこちらです。
「一押し」は「ひとおし」とも読みます
一方で、「ひとおし」と読む場合は「一押し」にして、「あと一押しだ」などと用います。これは迷いがないのではないかと思います。
(「ひとおし」の用例)
・説得にはもう一押し必要だ。
・あと一押しで勝てそうだ。
・あと一押しのところで敗れた。
「押し進める」と「推し進める」はどっちを使う?
「おしすすめる」には「押し進める」と「推し進める」がありますが、多く用いるのは「推進する」という意味の「推し進める」ではないでしょうか。これはどんどん進めていくニュアンスですね。
・このまま計画を推し進めましょう。
一方で、「押し進める」というのは押しながら進めることですので、障害になるものがあって、それでも無理に進めていく場合に用います。
・前途多難だが押し進めるしかないだろう。
どちがが正解ということではありませんので、内容によって使い分けてみてください。ただ、「おしすすめる」というと、ほとんどの場合は「推進する」意味の「推し進める」になりそうですね。
おわりに:「推し」はムーブメントで終わらない?
「推し」という語に対して最初に抱いた違和感は今ではほとんどなくなって、本当に身近になりました。老若男女、今では「推し活」は生きがいの領域に達しようという勢いです。
もともとは「就職活動」を略して「就活」と呼んだことから、派生してさまざまな「○○活」が登場しています。
・朝活(あさかつ)
・婚活(こんかつ)
・終活(しゅうかつ)
・妊活(にんかつ)
・保活(ほかつ)
・ソロ活(そろかつ)
・ポイ活(ぽいかつ)
ほかにもたくさんあって、「推し事(おしごと)」などという表現も生まれているほどです。これは、それだけ自分のために使える時間が増えたことの証しでもあるように思います。
まだ「推し」という語に違和感がある方もいらっしゃるかもしれませんし、俗語ですから慎重に用いなければなりませんが、こうやって言葉は変わっていくんだなと、楽しみながら「推し」のゆくえを見守っていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。