『舌切りすずめ』の要約とあらすじと感想/おじいさんの奇行が明らかに!

知っておきたい日本の昔話

『舌切りすずめ』の要約文を書いてみた

『舌切りすずめ』は、欲のないおじいさんにはいいことがあり、欲が深いおばあさんはさんざんな目に遭った話を通して、欲張ることはよくないと諭している昔話です。(表向き)

『舌切りすずめ』のあらすじを書いてみた

昔、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは、おばあさんの作ってくれたおにぎりを持って山仕事に行くのが日課でした。

ある日、お昼になったのでおにぎりを食べようとしたところ、おにぎりはすっかり食べられてしまっていて、すずめが包みの上で昼寝をしていました。その姿がかわいらしかったので、おじいさんはすずめをふところに入れて家に帰り、「ちょんこ」と名付けてたいそうかわいがりました。

ある日、おばあさんが洗濯物につけるのりを作ったところ、目を離したすきにちょんこがそののりをすっかりなめてしまいました。おばあさんは怒って、ちょんこの舌をはさみでちょんぎると、ちょんこは泣きながら山へ飛んでいってしまいました。帰ってきたおじいさんは驚いて、ちょんこを捜しに山へ向かいました。

山道を進んでいくと、途中で3頭の馬を洗っている人がいました。道を尋ねると、馬を洗った濁り水を桶で3杯飲んだら教えるといわれたので、おじいさんは濁り水を飲んで道を教えてもらいました。さらに進んでいくと、今度は3頭の牛を洗っている人がいました。道を尋ねると、この牛を洗った濁り水を桶で3杯飲んだら教えるといわれたので、おじいさんは濁り水を3杯飲んで道を教えてもらいました。

無事にすずめのお宿に着くと、ちょんこはとても喜んでおじいさん迎え入れました。甘いお酒においしいごちそう、踊りを踊っての大歓迎に、おじいさんも大喜びです。でも、あっという間に家に帰る時間となりました。

ちょんこは大きいつづらと小さいつづらを持ってきて、おみやげにどちらかを差し上げますといいます。おじいさんは小さいつづらをもらって家に帰りました。開けてみると、なんと中には金や銀や美しい着物がぎっしりと入っていました。

おじいさんに話を聞いたおばあさんは、大きいつづらにすればよかったのにと悔しがります。そして、今度は自分が出かけていって大きいつづらをもらってくることにしました。

途中、馬を洗っている人と牛を洗っている人に出会いましたが、おばあさんは無理やり道を聞き出してすずめのお宿に到着しました。ちょんこは驚きましたが、あり合わせのごちそうを出しました。おばあさんは、ごちそうはいらないからつづらが欲しいといい、大きいつづらを持ち帰りました。

帰る途中、どうしても中身を見たくなったおばあさんは、つづらを開けて中をのぞき込みました。すると出てきたのは、蛇やムカデやナメクジばかりだったので、おばあさんはすっかり腰を抜かしてしまいましたとさ。

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『舌切りすずめ』の感想をまとめてみた

『舌切りすずめ』は、表向きはよくある勧善懲悪の物語で、教育的な色彩が強いお話ですが、読んでいくと不可解なことばかりで、どうやら裏テーマがありそうです。

同じ勧善懲悪でも、『花咲かじいさん』や『こぶ取りじいさん』などは、隣の家の人が意地悪な人という設定です。一方、『舌切りすずめ』は夫婦間の対比になっていて、おじいさんがいい人で、おばあさんが意地悪なんですね。女性が意地悪という設定は多いように思いますが、腕力が強い男性が意地悪であるよりも強いインパクトを与えるからかもしれません。

すずめの居場所を突き止める方法は再話者によってかなり異なります。おじいさんが自力でたどり着く話にしているものもありますし、仲間のすずめに道案内をしてもらうものもあります。また、馬や牛の足を洗って教えてもらうもの、そして、今回はあえて濁り水としましたが、小澤俊夫さんの再話では、馬と牛の排泄物(小)を3杯ずつ飲んで道を教えてもらう話にしています。

つまり、それほどまでに、おじいさんが「ちょんこ」に会いたがったことを強調しているんですね。『舌切りすずめ』というと、欲張りなおばあさんばかりが注目されがちですが、こうなると、むしろ、おじいさんの奇行に度肝を抜かれてしまいます。

おじいさんは小さいつづらを選んで宝物をもらい、おばあさんは大きいつづらを選んだところゲテモノばかりだったことから、「欲張るとろくなことがない」という印象を読者に与えますが、えてして高級なものは小さい箱に入っているものです。

おばあさんは大きいつづらをもらいに行きました。舌を切るという仕打ちをした相手に宝物をもらおうという発想もなかなかの厚顔ぶりですが、すずめの気持ちを思えば、おばあさんが何を選ぼうと、どれも同じ結果になったのではないでしょうか。

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「ちょんこ」は本当に「すずめ」だったのか

物語の冒頭、すずめはおじいさんのおにぎりを平らげてしまいます。また、おばあさんが作った洗濯物用ののりもすっかりなめ尽くしてしまいます。洗濯物をパリッとさせる洗濯のりは米粒で作ったものだったのでしょう。このことから、このすずめはかなり大食漢のようです。

私たちは意地悪な人のことをことさらにあげつらうものですが、人間だれしも優しい顔と意地悪な顔を持っているものです。つまり、おばあさんはおじいさんに日頃から不満を持っていて、それでちょんこにつらく当たってしまったとも考えられます。

おじいさんが、馬と牛の排泄物を3杯ずつ飲んでまでも「ちょんこ」に会いに行った設定にしているのは、おじいさんの行動は普通の感覚ではできないこと、世間的にはよくないことの暗喩ではないでしょうか。そうすると、当然、「ちょんこは本当にすずめだったのか?」という疑惑が持ち上がります。

それほどまでにちょんこを大事にしていたら、おばあさんが意地悪になってしまうのも当然かもしれません。もしも、おじいさんがおばあさんのために同じことができたとしたら、夫婦は円満で、おばあさんも穏やかで優しい人でいられたのではないかというのが私の感想です。

昔話はバリエーションがたくさんありますので、どれが正解というわけではありませんが、今回は小澤俊夫さんの再話をベースにまとめてみました。小澤さんの再話は興味深いものばかりですね。