「バイアス」とはそもそもどんな意味?
「バイアス」という言葉はすっかり日本語になじんでいて、英語でありながらそのままで意味が通じますが、あえて訳すと「先入観」や「偏見」という意味です。ただ、「バイアス」には「斜め」という意味もあるんですね。お裁縫をする方でしたら「バイアステープ」はご存じだと思います。バイアステープとは布を斜めに切ったビヨ~ンと伸びるテープのことで、裾上げやふち縫いのときに使うものです。タオルなどでも、右上と左下というように斜めに持って引っ張るとかなり伸びますよね。あの原理を利用したものです。
「斜め」と「偏見」が同じ「バイアス」という言葉なのは興味深いですよね。日本語にも「斜に構える」という表現がありますが、これは「まともに対応しない皮肉っぽい態度」のことですから、「バイアス」とは少し意味が違います。「斜に構える」は自分でそうしている自覚がありますが、「バイアス」の場合はアンコンシャス、つまり、無自覚のうちに偏った見方をしているんです。
こんなふうに、自分勝手な思い込みや特定の考え方にとらわれて不合理な判断をすることが「バイアス」で、ほかの意味と区別するために、特に「認知バイアス」と言ったりもしますが、下の文例のように日常的に用いられてますよね。
・報道って、政党に対するバイアスが含まれていたりするよね。
・多様性社会といっても、まだまだバイアスだらけだよ。
・再出発するには、過去の失敗作へのバイアスを乗り越えなければならない。

僕の場合、思い込みに注意してもらいたい場合に「バイアスかかってるよ」なんて軽く言ったりすることが多いかな。
世の中はいろいろな「バイアス」にあふれている
「バイアス」は不合理な判断を生み、差別にさえもつながってしまいますから、もちろん持たないほうがいいわけですが、人間ですからどうしたってバイアスから逃れられません。
推しのアイドルが逮捕されたら「そんなわけがない」と考え、逆に嫌いなアイドルなら「あの人ならやりかねない」と考える。(感情バイアス)
ネット上で自分の考えに一致する情報を見つけると、ほかにもたくさんの情報が出ているのに、似たようなものばかり読みあさってしまう。(確証バイアス)
何か大きな問題が起こると、まるで自分はあらかじめわかっていたかのように感じて、「僕はそうなると思ってたんだよ」などと言ったりする。(後知恵バイアス)
健康食品のうたい文句を信じて、よくなった人の声だけを盲信し、効果がなかった人や悪化したケースについての情報は求めようとしない。(生存者バイアス)
ほかにもさまざまなバイアスがありますし、程度の差こそあれ、みんな少なからずこうした固定的な考えにとらわれているのではないかと思います。聖人君子は別かもしれませんが、「うちの子にかぎって」というのは自然な気持ちで、わが子を真っ先に疑う親はそうそういないのではないかと思うんですね。
ただ、逆にいえば、自分の中にも人間として避けられない考え方の癖があるんだと意識することで、周囲の意見に振り回されないように気をつけたり、冷静に判断してから意見を言うようにしたり、差別につながることはしないと心に決めたり、少しずつ行動が変わってくるんだと思います。自分自身のバイアスと闘うことができるのも人間らしさですからね。

人間は完璧じゃないから、できるだけその不完全な部分を補うように意識することが大事なのね。
「正常性バイアス」とはどんなこと?
日本で大きな災害が多発していることもあって、近年、「正常性バイアス」という言葉をよく耳にするようになりました。災害時における正常性バイアスとは、「これまで大丈夫だったんだから、今回もそんなにひどいことにはならないだろう」と思い込んでしまうことです。心が緊張状態になるのはは負荷のかかることですから、自分を守るためにそんなふうに考えてしまうんですね。でも、それで避難するのが遅れたり危険に巻き込まれたりすることもありますから、最悪の場合に備えることを意識の中に持っておいたほうがよさそうです。
「正常性バイアス」は災害時だけのものではありません。起こったら困ることを認めようとしないことは正常性バイアスが働いているんですね。いつもと違う音、いつもと違う時刻、いつもと違う温度、いつもと違う行動など、ちょっとした変化を「こんなの、たいした問題じゃない」と思い込んでしまうことはよくあることで、あとになってから、「あの時に対処しておけばよかった」と反省したりします。

私なんか行動に移すのが苦手だから、迷いながらも何もしないほうを選んじゃいそう。変化って怖いもんね。
「同調性バイアス」とはどんなこと?
同じく災害心理学で用いられるものに「同調性バイアス」があります。「同調性バイアス」とは「周りの人と同じ行動をしていさえすればよい」と考えてしまうことです。でも、そのことによって、結果として多くの人が被災してしまうことも十分に想定されます。
災害以外でも「同調性バイアス」は起こります。自分で確かめたわけではないのに、「みんながこの人が犯人だと言ってるから、きっとそうなんだろう」と思い込んでしまって、必要以上に特定の人を攻撃するということも日常的に起きています。同調することすべてが悪いわけではありませんが、根拠なく信じることはやはり危険です。
「同調性バイアス」によっても引き起こされるのは「同調行動」で、決断したのはもちろん自分です。しかし、同調しなければ自分の立場が危うくなるため、やむにやまれずそうしてしまうような圧力のことを「同調圧力」と呼びます。このワードはコロナ感染症がまん延した時期にとても多く用いられた気がします。情報を受け取る側も慎重に判断するのはもちろんですが、発信する側も、威圧的になっていないか、賛同を強要していないか、恐怖心をあおっていないか、注意する必要がありそうですね。

SNSは便利だし、いい面もたくさんあるけど、使い方によっては凶器にもなっちゃうんだね。