「常体」と「敬体」の文体を比べてみましょう

犬のイラスト 日本語で書く

「常体」で書く? 「敬体」で書く?

「読み書きそろばん」という言葉がありますよね。これは文字どおり「読むこと、書くこと、計算すること」で、社会生活を送るうえで必要な基本的な学力のこと指しています。「読み」の次に「書き」ですから、やっぱり「書く力」も大切なんですね。学校でも職場でも、何らかの形で書く場面は多いのではないかと思います。

SNSの登場によって個人発信の機会が飛躍的に拡大しましたが、SNSでは伝えたいことを端的にまとめなくてはなりません。たとえば「X」では、一度に投稿できる文字数は全角で140文字ですよね。140字以内にまとめるというのも高度な能力だと思います。

一方で、長い文章を作成することもあります。中高生ならレポートや小論文、大学生なら卒業論文も書きますし、社会人になれば報告書をまとめたり企画書を書いたり、何かと書く場面は多いものです。

書き始めるのにまず決めなくてはならないのが「文体」です。口語の文体には大きく「常体」と「敬体」がありますので、目的に応じて決定します。いちいち考えなくても、自然にどちらかの文体で書き始めていることがほとんどですが、どちらにするかによってかなり与える印象が異なってきますので、文体は重要なポイントです。

僕は、長いレポートのときには敬体にして文字数を増やそうとしたことがある。

敬体とは? 常体とは?

敬体とは:文末に「です」「ます」などの丁寧語を用いる文体で、「です・ます調」とも呼ばれます。「ございます」を用いることもあります。

常体とは:文末に「だ」「である」を用いる文体で、「だ・である調」とも呼ばれます。常体には「だ・だった」と「である・であった」があります。

文章中では敬体と常体の混在はなるべく避けますが、地の文は敬体だけれども、会話の部分は常体になるといったこともあります。また、同じ常体でも「確信した」「確信したのだ」「確信したのである」「確信したのだった」というように、バリエーションがとても豊富です。

文末の処理は文章作成においてとても大事です。「~思います。~思います。~思います。」というように同じ文末表現が続くとつたない印象になりがちですので、そのあたりは工夫して使ってくださいね。

「常体」と「敬体」のメリットとデメリット

「敬体」は丁寧な言い方なので、フォーマルな場での会話は敬体ですし、一般的な文章を書く場合も敬体が多いように思います。昨今よく話題になる「コンプライアンス」の面からも、敬体のほうが好ましいと感じている方も多いのではないでしょうか。上からなもの言いは敬遠されてしまいますからね。

ただ、丁寧に言えば伝わりやすいかというと、そうでもなくて、論点がぼやけてしまってかえってわかりづらかったりもしますので、そのあたりは難しいところです。学生さんであればレポートを敬体で書かれることもあるかもしれませんが、作文のようになってしまいがちなのも敬体の弱点です。

「常体」は、断定的な表現になるので信頼できる印象を与えます。新聞は常体で書かれていますし、論説・論文のたぐいも常体です。読んでいてリズム感がいいですし、説得力もあります。日常会話も、親しい人となら常体で話しているはずです。

ただ、気をつけないと冷たく機械的な印象になってしまったり、偉そうになる危険性がありますので、媒体によっては常体がそぐわないこともあります。敬体も常体も一長一短なので、用途によって使い分けてくださいね。

「メロスは激怒した」が「メロスは激怒しました」だったら、やっぱり違う文章になっちゃうね。

「敬体」と「常体」を『桃太郎』で比較してみよう

文体によってどれだけ印象が変わるのか、ためしに『桃太郎』の冒頭部分で試してみたいと思います。代表的な4種類を比較してみてください。文体だけでこれだけの表現の違いが生まれんですから、日本語というのは奥が深いですよね。

『桃太郎』を敬体(です・ます)で書いてみた
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かけました。おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。おばあさんは、これ幸いと、その桃を拾って家へ持ち帰りました。おじいさんと一緒に食べようと包丁で桃を切ろうとしたところ、桃の中から小さな男の子が飛び出しました。二人は大変喜んで、桃から生まれたので「桃太郎」と名付け、大切に育てることにしました。

これはしっくりくるわね。もともとの昔ばなしってこういう感じ。

『桃太郎』を常体(だ・だった)で書いてみた
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいた。ある日、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かけた。おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきた。おばあさんは、これ幸いと、その桃を拾って家へ持ち帰った。おじいさんと一緒に食べようと包丁で桃を切ろうとしたところ、桃の中から小さな男の子が飛び出した。二人は大変喜んで、桃から生まれたので「桃太郎」と名付け、大切に育てることにした。

「だ・だった」でも違和感ないな。すっきりしてるね。

『桃太郎』を常体(である・であった)で書いてみた

これは、遠い昔、某所に住んでいた老夫婦の逸話である。日常の業務として、男は山へ柴刈りに、女は川へ洗濯に出かけた某日のことであった。女は、川で洗濯をしていた折、巨大な桃が上流がら浮き沈みを繰り返しながら流れてくるのを発見し、その桃を拾得物として自宅に持ち帰ったのである。その後、桃を分かつため包丁を握ったとほぼ同時に、小さな男児が桃の中から出現するという現象が発生したため、老夫婦は喜び、この男児を「桃太郎」と名付け、大切に育てることにしたのであった。このことから、桃から人間が生まれることは必ずしも否定できないということが我々の導き出した結論である。

物語に「である・であった」は無理があるけど、論文ならこの文体がいいわね。

『桃太郎』を敬体(ございます)で書いてみた
むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいたのでございます。ある日、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かけたのでございますが、おばあさんが川で洗濯をしていますと、川上から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきたではありませんか。おばあさんは、これ幸いと、その桃を拾って家へ持ち帰ったのでございます。おじいさんとご一緒に食べようと、おばあさんが包丁で桃を切ろうとしましたところ、桃の中から小さな男の子が飛び出したのでございます。お二人は大変喜んで、桃から生まれたので「桃太郎」と名付けて、大切に育てることにしたのでございます。

無理やりっぽいけど、平安の物語みたいな感じになるね。

まとめ

例文は特徴が把握できるように強調したもので、実際には「だ・だった」と「である・であった」は混在しています。新聞表記の手引き書では、できるだけ「だ・だった」を用いて文語的な表現は避けるよう示していますが、逆に論文などでは「である・であった」が多く用いられます。

文章を書くというと、メールでやりとりすることが多いと思いますが、その場合には「です・ます」を用い、仕事上の連絡なら、必要に応じて「ございます」を用いると丁寧な印象になります。

日本語には漢語と和語があって、訓読みのものが和語、音読みのものが漢語ですが、「ございます」には和語が似合いますし、「である・であった」には漢語が似合いますね。

どれが正解ということではありませんので、それぞれ目的に沿った文体を工夫してみてくださいね。