『進撃の巨人』が伝えたかったことを考えずにはいられない

次世代に伝えたい傑作アニメ

平和を願うすべての人のための『進撃の巨人』

日本のアニメは本当にすばらしくて名作ぞろいです。世界に誇れる日本のカルチャーといったら、まずはアニメが挙げられますよね。たくさんのアニメがあってとてもすべては見られませんが、その中でも未来に引き継ぎたい名作を厳選して紹介していきたいと思います。今回は『進撃の巨人』です。

『進撃の巨人は』は漫画が原作で、2009年から連載が始まったようですが、テレビアニメは4年後の2013年から放送が開始されました。そして10年後の2023年についに完結したわけですが、ご覧になられたでしょうか。すばらしかったですね。

一時、作品中に出てくる巨人が某大型歌手に似ているとかなり話題になりましたので、『進撃の巨人』を知らない人はいないのではないかと思います。でも、巨人の姿を見て、ただの戦闘アニメのように思われている方もいらっしゃるかもしれません。でも、それは全くの誤解で、本当に示唆に富む作品ですので、まだの方はぜひぜひご覧になってみてくださいね。

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難解な部分を含めて諫山さんの世界観を味わう

私が最も驚愕したのは、作者である諫山創さんが20代前半から制作された作品だということです。20代前半といったら、ゆっくり大人になる昨今ではまだ幼さが残るイメージがありますが、それでいてあの達観した世界観ですから、いったいどのような経験をしてきたのだろう、彼に何が起こっていたのだろうと、とても気になっています。

特に、ファイナルシーズンと呼ばれる第4期からそれまでの世界が逆転するんですが、あの衝撃といったらありませんでした。脱帽というほかありません。

途中、作者さんが少し迷われているのかなと思うような部分もありますし、登場人物に語らせずに状況設定から感じてもらおうと模索されているので、特に後半は難解です。でも、そのことがかえってこの作品を完成させる苦悩が伝わるものとなっているように思います。

では、さっそくあらすじからご紹介していきましょう。

『進撃の巨人』前半のあらすじをざっくりと

物語は、パラディー島という離島において、頑丈に築かれた三重の壁の中で人々が暮らしているところから始まります。遠い昔、巨人と戦って敗れた歴史があるため、いつまた巨人が襲ってくるかもしれないという恐怖におののいていたのです。そしてその日はやってきました。ある日、突如として出現した巨人に町は大混乱に陥り、主人公のエレンの母親も巨人に食べられてしまいます。

エレンは、巨人を駆逐しようと決意し、幼なじみのアルミンやミカサとともに国防組織の調査兵団に入隊します。アルミンはおとなしく聡明な男子、ミカサはエレンに好意を持つすご腕女子です。

繰り返し出現する巨人と戦っているうちに、巨人の正体はどうやら人間であること、そして、エレンもまた自分の意思で巨人になる能力があることが判明します。兵団は、エレンの能力を使えば攻めてくる巨人に対抗できるかもしれないと考え、エレンもその思いに応えます。

たくさんの犠牲を出し、兵団も壊滅的な状況に追い込まれますが、なんとか巨人の襲撃を鎮圧した兵団の仲間は、初めて壁の外の海にたどり着きます。壁の外には自由があると信じて戦ってきた彼らでしたが、そこで見たものは海の向こう側の他国の存在でした。彼らにとって、この世界に自分たち以外の人間が存在するという事実は衝撃的なものでした。

物語の進行とともに歴史的な背景が明らかになってきます。エレンたちはエルディア人という民族で、エルディア人も以前は大陸に住んでいました。しかし、大きな戦争があり、土地を追われた国王は、一部のエルディア人を連れてパラディー島に逃げ、以来、壁を築いておびえながら暮らしていたのです。

しかし、島に渡れず大陸に残ったエルディア人もいました。彼らは敵国民として差別的な扱いを受け、屈辱的な生活を強いられていました。唯一、人権を認められる道は、大陸のマーレという国のために命をささげ、パラディー島を滅ぼすために戦うことでした。そのため、兵士を志願する若者が後を絶ちませんでした。

エルディア人はユミルの民とも呼ばれ、条件がそろえば巨人化する形質を遺伝的に有しています。ですからマーレ人は、大陸に残ったエルディア人を巨人化してパラディー島に送り込み、エルディア人同士で戦わせようとしていたのです。

『進撃の巨人』後半のあらすじをざっくりと

エレンは大陸のマーレに偵察に入った日から姿を消します。マーレで暮らす腹違いの兄のジークから協力を求められたからです。エレンの「始祖の力」とジークの「王家の血筋」が合わされば、すべてのユミルの民に力を及ぼすことができるため、兄弟でユミルの民を救おうというわけです。

兄が考えていたのは、ユミルの民であるエルディア人から生殖能力を奪うことでした。巨人化の能力を有する民族は、生まれてこないことこそが究極の救済なのだと考えたのです。

エレンは協力を約束しますが、兄とは別の解決策を考えていました。それは、世界の8割を巨人が踏み潰す「地ならし」をするという残虐なものでした。エレンの目的を知ったアルミンやミカサたち兵団の仲間は驚き、エレンの暴走を止めようとします。しかし、兄ジークと接触したエレンは奇妙で巨大な姿となり、大地を踏み潰しながら進んでいきます。

実は、エレンが残虐な「地ならし」を決行するのには真の目的がありました。それは、エルディア人の巨人化する形質を完全に取り去り、普通の人間に戻すことでした。そのためにはミカサが自分を滅ぼさなければなりません。それで手がつけられない姿になる必要があったのです。

なぜミカサかというと、巨人化する形質を操る力を持つ始祖ユミルが選んだ人物だからです。始祖ユミルはエレンに思いを寄せるミカサに自分を重ねていました。そして、もしもミカサがエレンを断ち切ることができたなら、自分自身もとらわれていたものすべてを断ち切ろうと決めていたのです。そして、それは見事に達成され、エレンはミカサによって断たれ、すべてのユミルの民から巨人化の能力が消失します。

こうして、世界の8割は消失しましたが、そのかわりにパラディー島には平安が訪れました。いや、訪れるはずでした。しかしパラディー島の住民は、かつてそうしていたように、外国からの襲撃に備えて再び高い壁を築き、戦闘態勢を整えて訓練に励むのでした。……というお話です。

かなり省略してしまいましたが、詳細はぜひアニメをご覧になってください。

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「コペルニクス的転回」という語を使いこなそう

繰り返しになりますが、この物語は途中で世界観が逆転します。つまり、前半はパラディー島の内部から外の世界を見ていたのに対し、後半では世界から見たパラディー島というように視点が逆になっているんですね。

このように、物事を捉える視点が180度変わることを「コペルニクス的転回」といいます。コペルニクスは、ご存じのとおり「地動説」を唱えた人物です。天が地球の周りを回っているという「天動説」を覆して、天が回っているのではなく地球が回っているのだと述べたわけですが、このことになぞらえた表現です。

パラディー島が世界のすべてだと思っていたエレンたちは、実は世界から見たらちっぽけな小さな島でしかないという事実に衝撃を受けたのではないかと思います。そればかりか、巨人となって襲ってきたのは自分たちと同じエルディア人であり、自分たちは仲間を討つために死力を尽くしていたと知ったときの絶望感は想像に難くありません。それでも、その事実を知ることなしには問題は解決しなかったのだと思います。

「コペルニクス的転回」は、新たな視点を持つことで、行き詰まっていた困難な局面を打開するというポジティブな意味で用いられます。ぜひ、かっこよく使いこなしてみてくださいね。

「いい人」の定義とは?

『進撃の巨人』には個性豊かなさまざまな人物が登場しますが、エレンの脇を固めるのは幼なじみのアルミンとミカサです。特にアルミンは、困難な状況にあっても適切な戦略を立てる聡明なキャラクターとして描かれています。

作中でアルミンはときどきハッとするようなことを言うのですが、その中に「いい人」の定義があります。

「いい人」か。それは、その言い方は、僕はあんまり好きじゃないんだ。だって、それって自分にとって都合のいい人のことをそう呼んでいるだけのような気がするから。

人間というものはつながりでできていますので、無意識のうちに、自分に利がある人のことを好きになり、不都合な立場の人は敬遠してしまいます。いい人かそうでないかは、必ずしも相手の人格や人間性から判断しているのではなくて、自分にとって得かそうでないかで決めてしまうことがあるんですね。

アルミンの言う「いい人」の定義は、見事にそれを言い当てていて、とても印象に残ったことばです。「いい人」という言い方をするときは十分に気をつけたほうがよさそうですね。

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反出生主義とは?

エレンの兄のジークがエルディア人救済のために考えたのはエルディア人の「安楽死計画」でした。エルディア人から生殖能力を奪うことで、やがてエルディア人はこの世に存在しなくなる、それがエルディア人にとっての救済だと考えたんですね。

確かに、生きているからこそ苦しいのであって、生まれてきさえしなければすべてのものが消え去って無になります。このように、生まれてこないことが究極の救済であるという考え方を「反出生主義」といいます。

私が興味があるのは「反出生主義」そのものよりも、諫山さんが反出生主義の要素を物語に入れているということです。確かに生きていれば「生まれてこなければよかった」と思うこともありますが、漫画家として成功されている諫山さんに何があったのか、もしかしたら、それだけ重いものを背負いながら制作にあたられていたのではないか、そこがとても気になりました。

いえいえ、私は人生で最も落ち込んだときに『反出生主義を考える』を買って読んだ経験があったのでそう思うだけであって、諫山さんは単なるエッセンスとして盛り込まれたのかもしれませんけれどもね。

人間はおろかにも同じ過ちを繰り返す

『進撃の巨人』はハッピーエンドにはなりませんでした。もちろん、一応の解決はみたわけですが、残酷な戦いを繰り広げ、自分たちもその苦しみを十分に味わっているのにもかかわらず、相変わらず戦闘準備を進めているパラディー島の人々の姿は、まるで、現代の私たちの姿そのもののようにも思われます。

「パラディー島」や「マーレ」という名称に、日本やそのほかの実在する国の名前を入れたとしても、または、世界を破滅に向かわせる「地ならし」を特定の爆弾に置き換えたとしても、この物語が成立しそうなところがすごいところだと思います。

会ったこともない国外の人を勝手なイメージで塗り固め、憎しみ合ったり争ったり、こんな人間のおろかさに気づきながらも、それをやめられない私たち。世界中で一斉に『進撃の巨人』を見たなら、もしかして世の中から戦争がなくなるのではないかと思ったほどです。

『進撃の巨人』の功績は、平和を訴えた真面目でお堅い本であれば手にしなかったような私のような者であっても、アニメを見て感動することで人間が抱える根源的な問題点に気づくことができたことだと思っています。まだ見ていない方は一度はご覧になってくださいね。

『進撃の巨人』には公式パロディギャグアニメの『進撃! 巨人中学校』というものがあるんです。これがまたなかなかおもしろいので、まだご覧になっていなかったらぜひチェックしてみてくださいね!