「青二才」の語源は魚だった?|「とどのつまり」や「いなせ」までつながる出世魚の話

気になることば

はじめに

「青二才」という言葉を耳にすると、未熟さや経験不足を指摘する、少し手厳しいニュアンスを感じる人も多いのではないでしょうか。ほとんどの場合、年若く、未熟な人を見下した言い方として用います。

でも、「青」はなんとなく想像がつくものの、どうして「二才」なのか気になりませんか? 「二才」があるということは、「一才」や「三才」もあるということなのでしょうか。

最近ではあまり使われず、文学の世界のことばのようになっていますが、小説の中に「青二才」が出てきたときにどのように解釈すればいいか、今回は「青二才」の語源に迫ってみたいと思います。

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「青二才」の「青」はどんな意味?

日本では、「青」は、「未熟」とか「若い」ことを象徴する色としてよく使われてきました。例えば「青い果実」は熟していない状態のことですし、「青くさい」は経験の浅さや未熟さを意味します。「青田買い」はまだ実る前に先買いして押さえてしまうことですし、弱々しいという意味で「青びょうたん」と言ったりします。

・青い果実
・青くさい
・青田買い
・青びょうたん

「青二才」の「二才」はどんな意味?

では、「二才」とは何でしょうか。語源を調べていくと次の二説がありました。

①「新背(にいせ)」の変化説

かつては若者のことを「新背(にいせ)」と呼んでいましたが、それが変化して「にせ/にさい」になり、「二才」が当てられたという説があります。

「背(せ)」とは「夫」や「兄」、あるいは「男性」のことですよね。対義語は「妹(いも)」で、妻や姉妹を指します。ですから、「新背」はいわばフレッシュマンのようなニュアンスでしょうか。

それに「未熟」という意味の「青」をくっつけて「青二才」になったと考えられています。

②魚の稚魚説

もう一つは「魚のボラ」に由来するという説です。ボラは成長するにつれて名前が変わる「出世魚」です。地方によって呼び名は異なりますが、こんな呼び方をするそうです。

オボコ → スバシリ→ イナ → ボラ → トド

ボラになりきっていない中途半端な段階のイナは「二才魚」にあたります。当時は、生まれて二年目の魚を「二才(にさい・にそ)」と呼ぶ習慣がありました

これを人間にも当てはめて、「まだ一人前になっていない、青っちょろい二才魚のようなやつ」という意味で「青二才」が用いられるようになったそうです。

ちなみに、威勢がよくてかっこいい若者を指す「いなせ」も、魚の「イナ」と男性の「背」を組み合わせたものなんですよ。

「とどのつまり」はボラの究極の姿だった

ボラに関連して「トド」にも触れておきたいと思います。ボラは成長段階によって名前を変える「出世魚」だと書きましたが、最後は「トド」という名前になって、それ以上にはなりません。

そのことから、「最終的には」という意味で「とどのつまり」が用いられるようになったんですね。

ちなみに、ここでいう「トド」はアシカの仲間の哺乳類のトドのことではありませんので注意してくださいね。

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「青二才」はどう使う?

なじみが薄くなってきた「青二才」ですが、どのように使えばいいのか、念のため用例で確認しておきましょう。

・当時の私は、まだ右も左もわからない青二才でした。
・あんな青二才に、この大役が務まるはずがないよ。
・まだ青二才ですが、一生懸命に努力していくつもりです。

まとめ

このように、未熟であることの「青」と、成長途中の「二才魚」を組み合わせて、人間の未成熟な姿を表現していただなんて、ちょっと面白いですよね。

ちなみに、年齢には「歳」を用いますが、「青二才」は必ずしも年齢のことではないので、慣用句として「才」が用いられます。

「青二才」という言葉には、単なる否定だけでなく、「成長の余地がある」という含みもあります。未熟であることは、裏を返せば、これから熟す時期に向かっていくということですから、可能性を秘めている若者に対して、ちょっとねたむ気持ちもあったのかもしれません。

これからは、「まだ青二才なんだから、これからいくらでも成長できるよ」というように、ポジティブな意味で使ってみてもいいのかもしれませんね。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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