はじめに
勘違いをしてしまうことってありますよね。「台風一過の青い空」を「台風一家」だと思ったり、お料理の下ごしらえの「ゆで(茹で)こぼす」を「湯でこぼす」だと思ったり、「自分には役不足です」と謙遜したつもりが、自分の能力に対して役が軽いという真逆の意味だと知って焦った経験はありませんか?
『巨人の星』の主題歌の「思い込んだら試練の道を」のときに、背景に整地ローラーでグラウンドをならす主人公の姿が流れるので、「重いコンダラ」だと思ってしまった人が続出したというのは有名な話ですね。その後、整地ローラーは「コンダラ」という二つ名を持つようになったほどです。
今回は、そんな勘違いをしがちな代表的なものとして「袖振り合うも他生の縁」を取り上げたいと思います。
「袖振り合うも他生の縁」はどんな意味?
「袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)」の「他生」は「多少」とよく間違えられます。「すれ違っただけの人も多少は縁があるものです」という意味に捉えてしまうためですね。
実はこれは「他生」と書きます。「他生」とは「前世からの因縁」のことで仏教用語なんです。仏教においては輪廻という考え方があって、一度死んでしまっても、何度も生まれ変わるとされます。
それで、「今すれ違った人は、一見すると偶然のようであるけれども、実は繰り返される輪廻の中で何かしらの縁があった人です」という意味で用いられます。今でいえば「違う世界線で出会った人」というようなことでしょうか。
「他生」を「多生」と書くこともあって、これは「他生」と混同されて生まれたようですが、「何回も生まれ変わった多くの人生」ということですから意味は同じです。こちらも広く用いられていますので、「他生」でも「多生」もどちらでも大丈夫です。ただ、「多少」は意味が異なってしまいますので使わないようにしてくださいね。
「総領の甚六」とはどんな意味?
ちなみに、「袖振り合うも他生の縁」れは京都や大阪のいろはがるたの「そ」で採用されたのですが、江戸がるたの「そ」は「総領の甚六(そうりょうのじんろく)」です。「総領」とは「長子」のことで、「長男や長女は大事に育てられるので、おっとりしていて世間知らずだ」という意味ですね。
「甚六」の「甚」は「ろくでもない」というあざけりの語で、「六」というのは「助」とか「男」のように名前らしくするために用いたもののようです。「甚六」は「人徳」と間違えられやすいのですが、むしろ「人徳」と間違えられるなら歓迎ですね。
「情けは人のためならず」とはどんな意味?
ついでに、意味を取り違えられやすいものをいくつか取り上げておきたいと思います。「情けは人のためならず」は「情けは人のためにならない」という意味だと思ってしまいがちですが、これは「情けは自分のためだ」ということですね。つまり、「情けをかけると、めぐりめぐって自分に返ってくるものだから、人には親切にしなさい」という教えです。
「琴線に触れる」とはどんな意味?
「琴線に触れる」は人の心を揺さぶって大きな感動や共感を与えることです。感動する心を鳴り響く弦にたとえたものですが、「逆鱗に触れる」と混同して「怒らせてしまうこと」だと思ってしまう人もいるようですので、注意してみてくださいね。
「役不足」とはどんな意味?
役不足とは、自分の能力に対して役が不足している、つまり足りないとか軽いという意味です。意味を取り違えて「自分には役不足です」と謙遜したつもりでいると、まるで反対の意味になってしまうので注意してみてくださいね。
まとめ
思い違いは誰にでもあるものですし、それぞれ専門分野が異なりますから、知っている語彙の領域も違います。ですから、間違っていることで誰かを責める必要はありませんし、責められる理由もないのですが、ただ、あとで気づいて恥ずかしい気持ちになったりしますので、できるだけ正しく使えたらいいですね。
今回は、勘違いしやすいことばとして「袖振り合うも他生の縁」を取り上げてみました。最後まで読んでくださってありがとうございました!

