「賽の河原」の「賽」と「賽は投げられた」の「賽」は違う意味らしい

なりきり知識人

はじめに

「賽(さい)の河原」って知っていますか? 死んでしまった子どもが行くとされる冥途(めいど)の河原で、三途の川の河原にあるようです。そこで子どもたちは石を積むんですよね。

「賽(さい)は投げられた」も聞いたことがあると思います。こちらはカエサル(シーザー)が言ったとされることばで、「もう後戻りはできない」という意味ですね。

全く異なるシチュエーションで用いられている「賽」ですが、そもそも「賽」とはどういう意味なのでしょうか。積んだり投げたりできるものなのでしょうか。とても気になったので調べてみることにしました。

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「賽の河原」の「賽」とは

「賽の河原」は三途の川のほとりにあって、死んでしまった子どもたちが集められるとされる河原です。親よりも先に死ぬのは罪深いこととされるため、子どもたちは罪ほろぼしに河原の石を積んで供養塔にするんですね。

それを地蔵菩薩に供えれば、罪が除かれて無事に三途の川を渡ることができるのですが、途中で必ず鬼がやってきて積んだ石を蹴飛ばしてしまいます。それで、何度も何度も石を積み直すことになるんです。

「賽」には「報いる」という意味があって、「賽の河原」の「賽」はこの意味です。何に報いようとしているのかというと、自分を産み育ててくれた父母の恩に報いようとしているんですね。「お賽銭」なら、神のご加護に報いるお金のことです。

「賽」=「報いる」

「賽の河原」はもともと「塞の河原」だった説があります。「賽」と似ていますが「塞(ふさぐ)」という字ですね。悪いものが入ってこないように現世とあの世の境界に「塞の神(道祖神)」を祭って塞いでいたものが、いつしか「塞(ふさぐ)」ではなく「賽(報いる)」に置き換わったようです。

「賽は投げられた」の「賽」とは

「賽は投げられた」は、カエサル(シーザー)がルビコン川を渡るときに言ったとされることばで、「いったん乗り出してしまった以上、もはや最後までやるよりほかに道はない」という意味で使われます。

当時、ローマの法律では、ルビコン川を越えることは「反逆罪(=死刑)」を意味したため、なみなみならぬ決意であることを示しています。

実は「賽」は「サイコロ」という意味があるんです。つまり、「サイコロを振って勝負は決した。もう後戻りできないのだ!」という、人生最大の賭けに出た瞬間のセリフだったんです。

「賽」=サイコロ

「賽は投げられた」は、ラテン語では「Alea jacta est」です。「Alea」は「運」とか「賭け」という意味ですが、日本語に訳した人が「賽は投げられた」としたようです。かっこいい訳ですよね。

「賽」をサイコロの意味で用いるのは日本独自の使い方です。中国語のサイコロを表す漢字の読みが「サイ」だったため、たまたま「賽」の字を当てたようです。

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まとめ

まとめると、「賽」には「報いる」と「サイコロ」という2つの意味があって、「賽の河原」は「報いる」、「賽は投げられた」は「サイコロ」という意味でした。つまり、両者には意外にも直接的な関連性はないことがわかりました!

ちなみに、「賽」に「サイコロ」の意味を当てているのは日本独自の使い方で、いわゆる当て字が定着したものでした。

最後に、お時間があればクイズに挑戦してみてください。

【問題】
カエサルの「賽は投げられた」のように、後戻りできない決断をすることを四字熟語で何と言うでしょうか。

A.乾坤一擲(けんこんいってき)
B.捲土重来(けんどちょうらい)
C.暗雲低迷(あんうんていめい)

(ヒント)
「一擲(いってき)」は「ひと投げすること」という意味です。

(答え)
正解はAの乾坤一擲でした!

(解説)
A.乾坤一擲:人生をかけた大きな勝負に出ること
B.捲土重来:一度失敗した人が勢いよく巻き返すこと
C.暗雲低迷:不穏なことが起こりそうな状態が続くこと

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