「目からうろこが落ちる」は聖書にあることばだった!
「目からうろこが落ちた!」とか「目からうろこだよ」な~んていう表現を誰でも1度や2度は使ったことがあるかと思います。「目からうろこが落ちる」とは、「何かがきっかけとなって急にはっきりと理解できるようになること」ですよね。
現在ではもっとカジュアルに、「思ってたのと違ってびっくりした!」のような意味で用いられていますが、なんと、これはキリスト教由来のことばで、『新約聖書』に書いてあることを知っていましたか?
新約聖書『使徒言行録(しとげんこうろく)』の第9章18-19節は次のとおりです。
「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。
これが「目からうろこが落ちる」のもとになった一節なんですね。
うろこが落ちるまでのいきさつ
ここで出てくる「サウロ」という人物は、後の「パウロ」です。彼はもともとは厳格なユダヤ教徒で、キリスト教信者を迫害する立場でした。最近のアニメでたとえるなら、『チ。』に登場する異端審問官ノヴァクのように、冷徹に「異端」を取り締まっていたんです。
それが「目からうろこが落ちた」ことによって、教会史上、最も重要なキリストの使徒となりました。いうなれば、ある日突然、ノヴァクが取り締まっていた側のリーダーになるようなことですから、かなり衝撃的な出来事ですよね。
その後、「サウロ」は回心して外国へ教えを広めるようになると、ローマ名である「パウロ」を名乗るようになりました。
聖書にはどう書いてあるの?
第9章を簡単に要約すると次のようになります。
1.キリスト教徒を捕らえることに燃えていたサウロは、ダマスコへ向かう途中で天からの強い光を浴び、「なぜわたしを迫害するのか」というイエスの声を聞いて倒れます。
2.サウロは目が見えなくなり、手引きされてダマスコに入ります。そこで3日間、目が見えないまま絶食して祈り続けました。
3.イエスは弟子アナニアに「サウロを助けよ」と命じます。アナニアは「彼は危険な迫害者です」といって助けることを躊躇しますが、イエスは「彼はわたしが選んだ器だ」と告げます。
4.アナニアがサウロに手を置いて祈ると、サウロの目から「うろこのようなもの」が落ちて視力が回復しました。サウロは即座に洗礼を受け、キリスト教を広める側へと劇的に生まれ変わったのでした。
正しくは「うろこ」ではなく「うろこのようなもの」だった
「目からうろこが落ちる」といいますが、新約聖書には「うろこのようなもの」とあって、「うろこ」だとは書いてありません。
日本語では「うろこ」と訳していますが、英語では「Scale(スケール)」になっています。これは「物差し」の意味ですから、使っていた物差し、つまり自分の価値観が、まるっきり変わってしまったというイメージですね。
英文では→The scales fall from one’s eyes.
もちろん、「うろこ」というのは比喩であって、サウロが抱いていたキリスト教に対する「誤解」とか「先入観」や「偏見」の意味であることは言うまでもありません。
私たちも自分の思い込みや先入観でものを見てしまうことがよくありますが、「誤解」や「偏見」が取り払われて、正しいことがしっかり理解できるようになった状態が「目からうろこが落ちる」なんですね。
「回心」と「改心」の違いは?
新約聖書『使徒言行録』の第9章は「サウロの回心」という副題がついています。「かいしん」と読みますが、「改心」ではなく「回心」なんですね。では、「改心」と「回心」はどのように違うのでしょうか。
一般的には「改心」を使います。「改心」は、悪い行いや考えの悪い点を改めて心を入れ替えることです。反省して改善することですね。
一方、回心(かいしん)はキリスト教における宗教用語で「気持ちの向きが変わる」ことです。それまでの人生観や価値観が180度ひっくり返って、神(絶対的な存在)のほうを向くことをいいます。
ちなみに、仏教では「回心」と書いて「えしん」と読みます。こちらは迷いの世界から悟りの世界へと目覚めることのようです。
まとめ
「目からうろこが落ちる」はキリスト教に由来することばで、「何かがきっかけとなって急にはっきりと理解できるようになること」の意味ですが、そのうろことは「先入観」や「思い込み」のことだったんですね。
このように、日本語の中にはキリスト教由来のことばもたくさんあります。もともとの意味を知っておくと、表現することが楽しくなってきますよね。参考になったら幸いです。
最後まで読んでくださってありがとうございました!


