はじめに
ここのところ脱印鑑の流れが加速していますが、日本では本人確認のために「はんこを押す」文化がありますし、大事な契約の際には事前に登録した印影との照合が求められたりもします。こんなふうに、私たちに身近な「はんこ」ですが、「押印(おういん)」と「捺印(なついん)」はどう違うのか疑問に思ったことはないでしょうか。
いろいろな解釈があるかもしれませんが、この記事では「押」と「捺」の漢字の意味の違いと、国が示している表記の取り扱いについて解説してみたいと思います。ついでに、「はんこ(判こ)」と「印鑑」の語源について調べてみましたので、最後までおつきあいくださいませ。
「捺」は表外字なので「なつ印」にします
まず、「捺」という漢字ですが、これは常用漢字ではないんですね。常用漢字というのは、現代の国語を書き表すために選ばれた漢字のことで、中学校までに習う漢字がそれにあたります。
常用漢字ではない場合はひらがなにしますので、「捺印」は「なつ印」、「押捺」であれば「押なつ」になります。
でも、「なつ印」という交ぜ書きだと脱力してしまいますよね。報道や公用文などの表記に厳格な立場でなければ「捺印」と漢字を用いてももちろんOKですが、その際は初出にルビや読みがなを添えるのが基本になります。
公用文では「押印」に統一します
現在用いられている常用漢字は平成22年(2010年)に改訂されたものですが、その中に「捺」が含まれていないため「捺印」という表記が使えなくなりました。
そこでどうしたのかというと、公用文においては「捺印」は「押印」に言い換えることにしました。このことは、「法令における漢字使用等について」でも、「新しい公用文作成の要領に向けて」でも示されています。つまり、公用文では「捺印」も「なつ印」も使わずに、「押印」に統一したんですね。
もちろん、この基準は公用文における定めですので、それ以外は含まれません。
「押印」と「捺印」はどう違うの?
「押印」も「捺印」も、どちらも印を押すことですよね。では、「押」と「捺」の漢字の意味はどう違うのでしょうか。
調べてみたところ、「押」は「圧力を加えて移動させること」という意味でした。「押す」は一般的に「スイッチを押す」や「人を押しのける」、あるいは「押しが強い人」というように用いますよね。ですから「押」は「プッシュ」の意味です。
一方の「捺」は「下にじりじりと押しつけること」という意味でした。ぐーっと押しつけると跡が残りますから、その意味では「スタンプ」が近いかもしれません。あるいは、「捺染(なっせん)」という染色の技法がありますが、これは型を使って染料を生地に転写するものですから、「プリント」という意味にもなります。
押:プッシュ
捺:スタンプ/プリント
確かに意味は違いますが、結果的にどちらも「判を押す」ということですから、ほぼ同じとして扱ってよいのではないかと思います。そのため、公用文のように「押印」に統一してしまうのも一案かもしれません。ただ、最近はデジタル印鑑も普及してきています。デジタル印鑑の場合は「プッシュ」よりも「プリント」が近いかもしれませんね。
「はんこ」と「印鑑」に違いはあるの?
「はんこ」の語源と表記について
さて、「はんこ」というのはよく用いていますよね。「はんこ」の語源を調べてみると、もともとは「版行(はんこう)」、つまり、版木に彫って印刷することだったようです。それが音変化して「はんこ」になりました。ですから、「判子」の「子」は当て字なんですね。
それで、公用文や議事録表記では「はんこ」は「判こ」と書くんですね。交ぜ書きはあまり好きにはなれませんが、新聞表記やNHKでは「はんこ」とひらがなを採用していますので、「判こ」でも「はんこ」でも、どちらでも大丈夫です。ただし「判子」は基本的に用いません。
「印鑑」の語源について
一方で印鑑ですが、「鑑」は「かがみ」、つまり手本や見本のことなんですね。本人確認をするために、あらかじめ届けておく印影の見本のことを「印鑑」と呼んでいたそうで、これは今の「印鑑登録」の「印鑑」そのものの意味になります。それがだんだんと「印」そのものも「印鑑」というようになりました。
このように、「はんこ」と「印鑑」は成り立ちは異なりますが、現在は同じものとして扱っています。「はんこ」をあらたまって呼ぶときには「印鑑」が好まれるようです。
「拇印(ぼいん)」とは?
「拇印(ぼいん)」とは、実印などの代わりとして、手の親指に朱肉や墨をつけて指紋を押すことをいいます。よくドラマなどで拇印を押すシーンが出てきたりしますよね。
拇印の「拇」は常用漢字表にない表外字なので、「ぼ印」にするか、漢字を用いるときはルビをふるか、もしくは「指印(しいん)」に言いかえます。「拇指」というのは「親指」のことですから、「指印」であれば親指以外でも使えますね。
拇印を押すほかに、印鑑の代わりとして、名前を書いて丸で囲んで印鑑に見立てたりすることがありますが、あれを「書き判」といいます。ただし、「拇印」や「書き判」には署名としての法的効力はないようです。
「食指が動く/食指を動かす」とは?
「拇指(ぼし)」は「親指」のことですが、「人差し指」の別名は「食指(しょくし)」です。つまり、人差し指はものを食べるための指と名付けられているんですね。「食指が動く」というのは「人差し指が動く」という意味だったんです。
拇指(ぼし):親指
食指(しょくし):人差し指
「食指が動く/食指を動かす」というのは、「自分のものにしたいという気持ちが起こること」という意味で用いますが、これは中国の故事がもとになっています。
中国の春秋時代に、鄭(てい)という国の子公(しこう)という人が、霊公(れいこう)に会いに行く途中、自分の人差し指がぴくぴく動きだしたのを見て、「これはごちそうになれる前兆だ」と言ったことから、「食指が動く」は「食欲が起こる」という意味になり、そこから転じて「自分のものにしたい気持ちが起こること」という意味になったようです。
(「食指が動く/食指を動かす」の例文)
・高価そうな装飾品を見て、つい食指が動いてしまいました。
・こんなもうけ話を聞かされては、食指が動かぬはずがない。
印鑑から生体認証の時代へ
いくら「私は私本人です」といっても、それを証明するものがなければ私になり得ないというのはとても皮肉で難しいことだと思います。その不便さを解消するために、日本では「はんこ文化」が定着していたのだと思います。
このように「はんこ文化」があるのは東アジアの一部の国に限られていて、日本のほかに、中国や韓国、台湾では、何らかの「判」を用いるそうです。一方、重要な契約や身分証明としてサインが用いられている国は非常に多く、アメリカやカナダ、イギリスやフランスなど、世界的に広く存在します。
運転免許証もマイナンバーカードもない時代、私が私であることの証明として印鑑が用いられてきたのは興味深いことですし、私などは印鑑に風情のようなものを感じてしまいますが、これからは生体認証の時代になっていくのでしょうね。
生体認証には、指紋認証のほかに、顔認証、静脈認証、目の虹彩認証、声紋認証、DNA認証などいろいろありますが、近い将来、科学技術の力によって、そこにただ存在するだけで自分が自分だと証明できるようになるのかもしれません。ただ、このことは、逃げも隠れもできないということでもありますけれどもね。
まとめ
・公用文では「捺印」は使わず、すべて「押印」にします。
・「捺」は表外字なので「なつ印」「押なつ」と表記します。
・「押印」は「印鑑を押す行為」のことです。
・「捺印」は「印の型を写しとる行為」のことです。
・「判子」の「子」は当て字なので「判こ」か「はんこ」にします。
今回は「なつ印」と「押印」の違いと、「はんこ」と「印鑑」の語源についてまとめてみました。最後まで読んでくださってありがとうございました!


