はじめに
「みる」というと、まず、「見る」の漢字が思い浮かぶと思いますが、漢字で書いていいのかどうか迷うことってありますよね。
「見てみる」や「食べてみる」というような場合には「見て見る」や「食べて見る」とは書きませんし、「先生が見える」と書くと、「先生の姿が見える」のか「先生がいらっしゃる」のかわからなくなってしまいます。こんなふうに、「みる」はみんな「見る」にすればいいというわけではなさそうです。
それに、「見る」のほかに「みる」と書けそうな漢字としては「診る」「観る」「看る」「視る」がありますが、常用漢字表の中に「みる」という読みが示されているのは「見る」と「診る」だけです。では、「看る」や「観る」はどう書けばいいのでしょうか。
観る:見物する
看る:世話をする
視る:客観的に見る
診る:診察する/医療上の検査をする
今回は、こうした疑問を解決するために、「みる」の表記についてまとめてみることにしたいと思います。
「みる」とひらがなにする3つのパターン
漢字の使い分けの前に、まず、ひらがなで「みる」と書くものを押さえておきましょう。
「みる」とひらがなにするのは3パターンあって、次のものは漢字ではなくひらがなにします。
①「て」に続く補助動詞の「みる」
②「と」に続く「みる/みられる」
③「来る」の尊敬語の「みえる」
それぞれ確認していきましょう。
①「て」に続く補助動詞の「みる」はひらがなにします
「みる」には、別の動詞にくっついて補助的な働きをすることがあります。これを補助動詞といいます。「食べてみる」や「考えてみる」といった場合ですね。このような使い方の場合には「みる」とひらがなにします。どうしてひらがなにするかというと、「見る」という漢字の意味が薄れて脇役になっているためです。
補助動詞の「みる」には、「試しに…してみる」という意味と、「…にしてみれば」という意味がありますが、いずれもひらがなにします。「て」や「して」に続く「みる」はこの形になります。
(補助動詞の「みる」)
・ぜひ食べてみてほしい。
・よく考えてみてください。
・行ってみたらわかるよ。
・やってみたら簡単だった。
・起きてみたらお昼になっていた。
・親にしてみれば心配だろう。
・彼らにしてみれば大損だったろう。
②「と」に続く「みる/みられる」はひらがなにします
「考える」という意味の「みる」はよく使いますよね。個人的な考えのときには「みる」、一般的な考えの場合には「みられる」の形になりますが、文語的に「みえる」になることもあります。これらはひらがなで「みる」にしてください。古文で習ったかもしれませんが、これらは「見る」ではなくて「見ゆ」の仲間です。
どの場合も、「…とみる」「…とみえる」「…とみられる」というように「と」を伴いますので、「と」を伴う「みる」はひらがなと覚えておくと便利かもしれません。
(「と」を伴う「みる」)
・勝利は確実だとみている。
・景気が後退しているとみる向きがある。
・どうやら敵は諦めたとみえる。
・このまま人口減少が続くとみられます。
・物価上昇の影響が大きいとみられる。
・当選確実とみられていたが落選した。
③「来る」の尊敬語は「みえる」にします
「いらっしゃる」という意味の「みえる」はひらがなにします。「先生がみえました」とか「お客さまがおみえです」のような場合ですね。
「先生が見える」と漢字にしてしまうと、「先生の姿が目で見える」という可能の動詞になってしまいますので、それと区別するためにひらがなにします。
東海地方などでは「来る」の尊敬語だけではなく、「居る」の尊敬語として「食べてみえる」「住んでみえる」というような言い方をするようですが、この場合もひらがなにしてください。
(「来る」の尊敬語)
・先生がみえました。
・お客さまがおみえです。
・社長がおみえになりました。
・電車でおみえになるそうです。
・ご主人がみえるまで待たせてください。
(「居る」の尊敬語 ※方言)
・食べてみえる
・住んでみえる
・来てみえる
「みる」の漢字は「見る」と「診る」だけです
冒頭で触れたように、常用漢字表の中で「みる」という読みが示されているのは「見る」と「診る」の2つだけです。ほかの「観・看・視」はどうするかというと、意味を区別せずにみんな「見る」にします。
見る|
観る|→ 見る
看る|
視る|
診る → 診る
常用漢字というのは、「広く情報を発信する立場なら漢字使用はこの範囲内に収めてください」と国が示している漢字のことです。文芸の領域や個人的な文章なら気にする必要はありませんが、職場や学校、あるいはネットで情報を発信したりする場合には意識したいところです。
ただ、どうしても「観る」や「看る」を用いたい場合は、初出にルビや読みがなを添えればいいことになっていますので、工夫して用いてください。
「見る」と書くのはどんなとき?
「見る」は「目でものを見る」のが本来の意味なので、「テレビを見る」や「景色を見る」などは使いやすいですが、「味を見る」とか「調子を見る」など、視覚を働かせるわけではない「みる」は「見る」と書いていいのかどうか迷ってしまいますよね。
でも、「見る」は「目で見る」という意味だけではないんですね。それ以外にも「調べる」「あう(会う/遭う)」「世話をする」などの意味がありますので心配には及びません。英語でも「わかりました」を「I see.」といいますしね。
「味を見る」は「味を調べる」という意味です。そうはいっても、「味を見る」や「調子を見る」などは、どうしても語感に合わないと感じることがあるかもしれません。表記に自由度があるお立場であれば、「味をみる」や「調子をみる」など、ひらがなでもよいのではないでしょうか。そこは個人で判断なさってくださいね。特にこだわりがなければ原則のとおり「見る」にします。
(視覚を働かせるもの)
・映画を見る
・景色を見る
・テレビを見る
・見ると聞くとは大違い
・よく見てください。
・見るからに強そうだ。
・見たところ異常ありません
・見る影もない
・手相を見る
・疲れが見える
(視覚以外によるもの)
・味を見る
・調子を見る
・痛い目を見る
・様子を見る
・出来具合を見る
・ばかを見る
・それ見たことか
・面倒を見る
・景気の動向を見る
・隙を見て逃げる
・日の目を見る
「診る」と書くのはどんなとき?
「診る」は、「診察する」という意味で「患者を診る」のように用いたり、医療上の検査をするという意味で「脈を診る」などと用います。補足すれば、医療は「診る」と書きますが、看護の「看る」は「見る」にします。
ただ、お医者さんが「レントゲン写真をみる」というような場合は、診断のために詳しく「診る」のか、視線を向けている「見る」なのか、判断がつきにくいことが多いんですね。そのため、医療に関することであっても、「診察する」という意味以外であれば「見る」も多く用います。このあたりは文脈で判断してみてくださいね。
(診察する/検査する)
・患者を診る。
・脈を診る。
・医者に診てもらう。
・一度、診てもらったほうがいい。
終末期の「みとり」とは
人が亡くなる瞬間に立ち会うことを「みとる」といいます。また、臨終の場だけではなく、もうすぐ死を迎える状態にある人のそばにいて、最期の瞬間までケアすることを「みとり」といいます。
看護や介護の領域では「看取る/看取り」と漢字表記が用いられていることが多いかと思いますが、新聞表記ほか一般の文章においては「みとる/みとり」にします。
「看」は「見」にすると書きましたが、終末期の「みとり」は、見て理解する「見取り」とは意味が異なります。そのためひらがなで表記するんですね。
看護や介護などの専門領域では漢字を用いていますので、「看取り」を用いたくなるかもしれません。表記に自由なお立場であれば漢字でもよいのではないかと思いますが、特にこだわりがなければ、原則のとおり「みとり」とひらがなにしてください。
・自宅で父をみとりたい。
・母をみとったばかりです。
・個人の尊厳を尊重したみとりが大切です。
教育における「見取り」とは
近年、教育現場で「見取り」や「見取る」という語が多く用いられるようになりました。きっかけは、2017年の小・中学校学習指導要領の改訂において「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」が掲げられたことです。
この新しい学びの形では、教師が一方的に知識を教えるのではなく、子どもたちが自ら課題を見つけ、自分で考えて解決するプロセスを重視します。ここで「見取り」という言葉が出てきたんですね。つまり、単に子どもを「見る」のではなく、内側の思考プロセスや意欲までをも深く理解しようとする行為として「見取り」が使われるようになったようです。
「見取る」とは、もともと「見て理解すること」ですので、もちろん教育以外においても用います。また、「見て取る」という言い方も多く用いられます。
(教育)
・子どもの力を見取ることが重要です。
・教師には見取りの技術が求められます。
(一般)
・冷静に状況を見取りたい。
・相手の気持ちを見て取る。
・勝算はあると見て取れる。
まとめ
・補助動詞の「みる」はひらがなにします
・推測の「みる/みられる」はひらがなにします
・「来る」の尊敬語は「みえる」にします
・「みる」を漢字で書けるのは「見る」と「診る」だけです。
・終末期の場合は「みとり」とひらがなにします
今回は「見る」と「みる」の使い分けについてまとめてみました。長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。


