「主観」とは? 「客観」とは?
「主観」とは、自分の立場や観点に基づく考えのことで、「客観」は、自分の立場を離れて誰にでも共通するものの見方のことです。「主」はあるじ、自分のことで、「客」はお客さん、他人のことですね。「観」は見ること、見渡すことの意味です。
「主観的」「客観的」は、「主観」「客観」に「的」を接尾語として加えたもので、「~の状態」であることを示します。ですから、「主観的」とは「自分の立場で考えている状態」、「客観的」とは「みんなの立場で考えている状態」ということになりますね。
客観的:みんなの立場で考えている状態
「的(てき)」の用いられ方が多様化している
「的」を「まと」ではなく「テキ」と読むのは接尾語の場合です。「集中的」「部分的」「科学的」などと使いますよね。「的」はこのように抽象的な意味を持つ熟語にくっけることが本来の使われ方です。
ところが、最近は和語(訓読みのもの)にくっついたり、外来語にくっつける表現が、あまり違和感なく広く浸透しています。
・この試作、味的にはいいと思う。
・スケジュール的にはきついな。
・コスパ的には最高だね。
「的」は中国語だと「~な」や「~の」という意味になりますが、この場合は「的に」で「~が」の意味になりますね。「味的にはいい」は「味がいい」、「コスパ的に最高だ」は「コスパが最高だ」ということですから、わざわざ「的」を用いなくても通じますが、直接的な言い方を避けようとする日本語の特性を現代人も受け継いでいるのかもしれません。ただ、標準的ではない言い方ですから、あらたまった席では用いないほうが無難です。
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「わたし的には」ってつい言っちゃうのよね。
積極的に用いたい「主観的」と「客観的」
「主観的」「客観的」ということばを用いることは、その考えが正当なものなのかどうか常に意識することにつながります。「主観的」なものが「客観的」なものと一致すれば、みんなに受け入れられて、しかも自分にもいいということになりますからね。
「主観的」というのは必ずしも悪いことではありません。自分の考えをきちんと述べることはとても大事なことです。その意味で「自己中心的」よりもう少し謙虚な言い方です。
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「主観的な意見になってしまいますが」と前置きして話すと、なんだか、すごくスマートに聞こえるよね。
「客観的」に似た意味で「俯瞰(ふかん)する」というものがあります。「俯瞰(ふかん)とは上から下を見下ろすことですね。鳥のように空から見下ろす「鳥瞰(ちょうかん)」という表現もあります。「客観」はみんなに共通する視点、「(俯瞰(ふかん)」は全体的な視点ということですね。
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「ふかんする」という言い回しは、漫画やアニメの中でもよく使われているわ。
「主観的」「客観的」を用いて短文を作ってみましょう
大勢の前で発表するときは、「自分的には」や「みんな的には」ではなく「主観的」「客観的」を用いるといい感じになりますよ。
・さっきから聞いていると、それってみんな主観的な意見でしょう?
・あなたの研究には客観的な裏づけが不足しているようです。
・ここでぜひ第三者の客観的な意見を求めたいと思います。
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主観的にばっかり考えてしまう自分を反省します。